駅の待合室は意外と楽しくて、JRに限らず地方の私鉄や第三セクター鉄道などでも地元の愛好家による列車の写真や風景写真、絵画、俳句など列車を待つ時間を楽しませてくれる駅があります。


JR東日本上越線沼田駅

 また、地域の女性たちの心遣いなのか手製の座布団が置かれていたりして心暖まる時間を過ごさせてもらったりしています。

えちごトキめき鉄道日本海ひすいライン市振駅

 前述した地元の愛好家の方々の撮影による古い鉄道写真のひとつに半世紀も前の小学校2年生の夏休みの思い出が脳裏に甦ってきました。

国鉄・信越本線を走行するD51 2号機の写真

 昭和46年(1971年)夏…当時は父の転勤で広島県に住んでいましたが、夏休みのときに妹が耳鼻科の通院があったため両親の実家がある東京には家族での帰省ができなかったため、母に連れられて新大阪駅まで山陽本線の特急「しおじ」へ行き、東京から迎えに来てくれた祖母に引き渡されて東海道新幹線「ひかり」で東京に行きました。
 東京でで数日過ごしたあと、祖父母に連れられて長野県信濃町の親戚宅へ行って祖父母ともども過ごしたわけですが、そのときに現在で言うSLによるイベント臨時列車が信越本線の長野~黒姫間で運行されました。
 祖父は私のためにその臨時列車の切符を買っておいてくれたみたいで、祖父と二人で往路は黒姫駅からだったか野尻湖からだったか忘れましたが長野まで長電バスで2時間ほどかけて移動、復路においてSL臨時列車に長野駅から黒姫駅まで乗車して帰ってきたのでした。
 もちろん客車は当時では珍しくもなかった旧型客車でした。
 そのときこの臨時列車を牽引していたのが前述の画像で写真に写っているD51 2号機だったことを何故か当時から現在に至るまで鮮明に覚えています。

 D51 2は戦前の昭和11年(1936年)3月26日に川崎車両兵庫工場で製造、敦賀を振り出しに大垣、中津川、多治見、稲沢など中部地方の機関区で過ごして昭和46年(1971年)12月13日に廃車されました。
 私の推測ですが、あの臨時列車は稲沢から中津川に貸し出されていた同機が長野に貸し出されて牽引機となったと思われます。その後、半年もしないうちに廃車となったのですが、廃車後は大阪の交通科学博物館で長く展示されました。
 京都鉄道博物館開設に伴って交通科学博物館閉館により岡山県の旧津山扇形機関庫にて保存が続けられているということは、個人的なことながら少年時代の思い出がある者としては喜ばしいことです。

 ボックスシートの向かい側に座って優しい笑みを浮かべていた祖父と、そのときに車内販売で買ってくれたカップアイス(バニラアイスにチョコクリームか何かでデゴイチの絵が書かれていたように記憶しています)が駅の待合室に展示されている古い写真を見て半世紀を経て甦ってきました。
 

アメリカで観光したいところは?

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 夫婦でたった1度だけ経験したことがある海外旅行が20代前半の頃に行ったアメリカ合衆国。
 成田~サンフランシスコ(1泊)~ラスベガス(1泊)~ロス・エンジェルス(2泊)~ホノルル(2泊)~成田という6泊8日の行程でした。

 あのときはツイていて、日本交通公社(現在は営業部門が民営化のうえ分離独立したJTB)のツアーで参加したのですが、最小催行人数14名のところ、年始にもかかわらず直前に3組もキャンセルが出たとかで私たち夫婦・5人家族・変なおじさん3人組の10名だけ…しかも、直前のキャンセルだったためちゃんと日本から交通公社の添乗員が同行ありだったのでした。

 とても楽しかった思い出でしたが、その模様については長くなるので機会を見つけて記事にしてみたいと思います。
 ただ、私たち夫婦にとってはハワイは余計だったかな…その分の2泊をアメリカ本土の他の場所を巡るかサンフランシスコやL.Aの滞在をもう1日ずつ多いツアーにすべきだった気がします。単なるリゾート気分のハワイよりアメリカ本土の方が数倍楽しかったというのが帰国してからの本音でした。

 たぶんアメリカを旅行する機会はもうないでしょうが、もし機会があるとするなら今度はニューヨークなどの東海岸、イエローストーン国立公園、アメリカ本国とはかけ離れますがアラスカに行ってみたいです。