信州・上田

 しばらく観光では訪れていないです。
 東京の住まいと長野県北信にある家との往復は車だと急ぎでなければ高速を使わずに吾妻渓谷から菅平を越えて大笹街道から小布施へ抜けるか、草津温泉を通って渋峠を越えて志賀高原を下って中野へ抜けるのが常だったので…。

 列車だといつも通過してばかりだし、北陸新幹線だと上田駅には停車しない「かがやき」やデータイムの「はくたか」利用が多いということもあるのかもしれません。
 歴女の方々に圧倒的な人気を誇る真田幸村(本名は真田信繁)の父・真田昌幸が築いた上田城は、二度にわたって徳川の大軍に屈辱的な敗退を味あわせ、落城の憂き目には合っていないにもかかわらず、関ヶ原の戦いで西軍側に付いた昌幸・幸村父子は城を明け渡して紀州・九度山に流されます。
 その後、戦闘機能を破却されたうえで東軍側に付いていた昌幸の長男(幸村の兄)・信幸(→信之)に返却されますが、徳川家康没後は上田から松代(現在の長野市松代町)へ移されて信之は明治維新まで続く松代藩の藩祖となるわけですが…。

 最後に上田を観光したのは、もう25年くらい前になるでしょうか…。
 まだ息子が幼稚園児だった頃、親戚宅に遊びに連れていった帰りに珍しく国道18号線を通って東京へ戻る途中で上田城に立ち寄ったことは覚えていますが、それ以降は観光で上田を訪れた記憶がありません。

 あの日は松坂大輔投手擁する横浜高校とPL学園の試合が行われているのをカーラジオで聴きながら車を走らせていたのですが、家族で上田城を散策したりして車に戻ってくるとまだ試合が行われていて、延長17回の大熱戦を戦い抜いた高校球史に残る名勝負が行われていたことを覚えています。

 今年は上田駅に降り立ったものの、目的地は隣の東御市の旧北国街道・海野宿。
 ホームにはしなの鉄道の山スカ色を纏ったS26編成が停まっていましたが、これもまもなく引退するようですね。


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「○○派」というほどどちらも頻繁には口にしてないです。
 寒天を使った和菓子だったらは夏は眺めていると涼を感じさせてくれるし、洋菓子と違ってその芸術性と我が国が誇る美意識(残念ながらそれをかなぐり捨ててしまっている愚行が蔓延していますが…)に食べてしまうのが惜しいほどのものがありますね。

 寒天の菓子といえば上田の「みすゞ飴」…祖母が好きで、生前はよく買ってくるように頼まれたものでした。
 いまでも「みすゞ飴」を見ると祖母のことを思い出します。