美しく修復された189系を眺めたところで間近で見られる展示車両の方へ戻りました。

 今回は特定の区間で限定使用された機関車をピックアップします。
 こちらは前回までのこのシリーズで取り上げているEF63型電気機関車のトップナンバー。
 デビュー当時の茶色に復刻されています。
 EF63型は信越本線横川駅(群馬県安中市)と軽井沢駅(長野県軽井沢町)の間に介在する碓氷峠を通過する列車の補機を務めるためだけのために設計・製造された機関車。
 最大で66.7‰(水平距離1000mに対し66.7mの標高差)という全国の国鉄線において最も急勾配だったこの区間では長い間アプト式機関車により列車を補助していましたが、速度が非常に低速であったことから車輪とレールの摩擦力だけで走る通常の粘着方式に変更されて登場した機関車です。それでも電車の場合は最大で8両編成、戦後の軽量客車でも最大で10両編成しか組めなかったのですが、山岳路線に対応した抑速ブレーキを装備した165系急行型直流電車にEF63型電気機関車との協調運転機能を付加した169系急行型直流電車が開発され、最大12両編成が組めるようになりました。

 その後、485系特急型交直両用電車に同じく協調運転機能を付加した489系特急型交直両用電車が開発されて上野~金沢間の急行「白山」を特急列車に格上げして充当、さらに183系1000番台特急型直流電車に協調運転機能を付加した189系特急型直流電車が開発されて「あさま」に導入されて信越本線の輸送力増強が図られました。

 ちなみにここで述べる協調運転とはEF63型で電車側の動力やブレーキも一括して制御することにより電車と機関車が一体となって列車の運行をするということです。この協調運転機能を付加していない車両がたとえ1両でも混在していると協調運転はできないため当然編成は8両編成が限度となります。
 また、169・189・489系以外の協調運転機能を持たない車両であっても、台枠や連結器などが強化された車両でなくてはこの区間に乗り入れることすらできませんでした。
 通称「横軽対策」施工車両には車体側面裾部に表記されている形式番号の前にそれを表す「・」が付けられていました(例…・クハ489-704)。
 また、これら協調運転に対応した3形式の編成には台車の空気ばねの空気を抜いて強制的にパンクさせる「ばねパンク」が行われ、碓氷峠を通過したあと停車する横川駅あるいは軽井沢駅においてEF63型を解放する作業の間に急速に空気ばねを復活させるためエアーを作るコンプレッサが多く取り付けられていました。さのため、空気を抜いてサスペンションな役割を抑えていたのです。

 なぜ空気ばねをパンクさせる必要があったかというと、急勾配において減速を行った場合に各車両同士の屈折が大きくなって連結器を損壊させる可能性があったからだそうです。

 アプト式時代を含めてこの区間が新幹線開業により廃止となる平成9年(1997年)9月30日までの長きにわたって横川駅には全列車が停車して補機の連結・解放が行われたことにより5分間ほどの停車時間があったので有名な「峠の釜めし」が全国区の知名度を誇る駅弁となったことは言うまでもありません。


 こちらはEF59型電気機関車。
 戦前の昭和7年(1932年)に日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省のEF53型電気機関車として登場、東京機関区に配置されて当時電化されていた東海道本線の東京~国府津、のちに沼津まで特急列車を牽引していました。
 客車へ暖房を送る蒸気暖房装置(SG)を持たなかったことから、戦後SG搭載のEF58型電気機関車が登場すると特急列車の牽引から外れて一部は高崎機関区に転属して関東圏のローカル列車牽引の任に就いていました。

 東海道本線と接続する山陽本線の電化が広島まで完成したときにEF53型およびEF56型電気機関車から改造されて22.6‰の勾配が連続する広島県の瀬野~八本松間において上り線のみで列車の最後尾に補機として連結されて活躍した機関車です。

 一般の貨物列車は瀬野駅に停車してEF59型を連結して峠越えに挑み、高速運転が求められる高速貨物列車(特急貨物)や寝台特急列車、出力アップ施工前の151系特急型電車による特急列車については広島貨物ターミナルや広島駅でEF59型電気機関車を後部に連結して瀬野駅を通過していました。

 この機関車の特徴として神戸方には自動開放機能を付加した自動連結器が装備されており、八本松駅手前で走行中に列車から開放されて下り勾配となる八本松駅からの折り返しは列車に連結されることなく数機まとめて重連を組んで瀬野駅や広島駅へ戻っていたこと、最後尾となる広島方には黄色と黒のゼブララインの警戒色を纏っていたことです。
 戦前に製造された機関車からの改造車であることや使用方法などは信越本線のEF63型とは異なる性格でしたが、こちらもこの区間でしか見られない機関車でした。その意味では活躍場所から遠く離れた北関東での保存・展示ではあるものの、もともとの出自を考えれば高崎地区にも配置されていた時代があるEF53型電気機関車からの改造であることを考えれば意味があると感じます。いつまでも美しく保存され続けてほしいと思います。


 こちらは峠越えの補機ではありませんが、それこそ関東信越地方とは全く無縁のEF30型電気機関車です。
 この機関車が設計・製造された経緯は山陽本線の電化が関門トンネルをくぐって九州の玄関である門司駅までは直流電化されたのに対し、九州側の電化は地上の設備費などで有利な交流電化されたため門司駅構内も交流に変更され、下関寄りの関門トンネル入口付近にデッドセクション(死電区間)が設けられて交直電源を分断したため本州側と九州側を直通できる交直両用電気機関車が必要になったこと、海底トンネルから地上に出る22‰の勾配区間において貨物列車を重連で牽引できる性能が求められたということがありました。
 つまり補機としての使命ではなく、下関~門司間における本州側の直流電気機関車と九州側の交流電気機関車との中継を果たすために製造された機関車でした。
 海水による腐食を防ぐためにステンレス車体とされ、これは後継機のEF81型300番台電気機関車にも継承されています。

 地味な存在で下関~門司間のみの牽引とはいえ東京や関西からの九州ブルトレの先頭にも立っていた機関車が全く無縁の地である北関東の横川に保存されることになるとは思いもよらないことでした。

 ここに挙げた3形式の機関車、彼らの現役時代に馴染みが深かったのはEF63型だけで、少年時代は父の転勤で広島県で過ごした私ですが、県東部の福山市に住んでいたのでEF59型もリアルタイムで眺めたことはありませんし、EF30型に至ってはなおさらのことです。
 しかし、特殊な任務を背負った彼らがここに保存されて間近に眺めることができるのは関東に住む私にとって喜ばしいことです。

 次回に続きます。