今度はEF62型電気機関車の方へ向かいます。

この機関車は信越本線の輸送力のネックとなっていたアプト式の碓氷峠(横川~軽井沢間)の急勾配を昭和38年(1963年)に一般的な粘着式(動輪とレールの摩擦力で列車を走らせる方式)に変更し、複線化することによって速度向上と輸送力の向上を図るために前回記事でアップしたEF63型電気機関車とともに開発された機関車です。

EF63型が碓氷峠での補機として限定運用されることを前提に設計されたのに対し、こちらは信越本線の客車列車や貨物列車を首都圏から信州へ通しで牽引する目的で設計されました。
そのため碓氷峠のみを運用されるEF63型にはスカートの下にスノープラウが取り付けられていないのに対し、EF62型は信越国境の豪雪地帯を走行することからスノープラウをスカート下に装着していました。
前面のパノラミックウインドウが丸味を帯びていて、窓のコーナーなどが角張ったEF63型と比べると印象が異なります。

EF63型の足回りです。
EF63型が他の新性能F型電機と同様に3つの台車を履いている(それぞれの台車に動輪が2軸ずつ)のに対し、EF62型は2つの台車に動輪が3軸ずつという、同じ動輪が6つながらCo-Co方式という軸配置が採用されていました。
一般的なF型機がレールの継ぎ目を通過するときに「タタッ、タタッ、タタッ」というジョイント音を響かせるのに対し、EF62型は「タタタッ、タタタッ」という独特なジョイント音を奏でていました。
ちなみに鉄道に全く興味のない方にはわけがわからないと思うので、簡単に説明すると、機関車の動輪の車軸の数が2つだとB型、3つだとC型、4つだとD型…というように動輪の数がひとつ増えるごとにアルファベットがE・F…と推移します。動輪ではない車輪の数は含みません。
そしてアタマのEは電気機関車、Dはディーゼル機関車です。

こちらはEF62型の足回りです。
簡単に言えば、一般的なF型機は電車などと同じようにひとつの台車に2軸という形態なのに対し、こちらはひとつの台車に3軸という形態でした。そのために台車間のスペースが広く空いており、そこにさまざまな機器が取り付けられています。

碓氷峠区間ではEF63型と協調運転できる機能を持っており、そのときはEF63型に乗務する機関士の一括制御によりEF62型の制御も行われていたので、EF62型の機関士は前方や信号注視という役割をしていました。
EF63型同様、昭和37年(1962年)に試作機である1号機が製造され、翌年から量産が始まり、合計54両が製造されました。
画像は碓氷鉄道文化むらに保存されている最終ロットの54号機です。




EF62型は信越本線から貨物列車や電車化により客車列車が少なくなったことで余剰となったこと、東海道・山陽本線において郵便・荷物列車を牽引していたEF58型の老朽化、そしてこれらの郵便・荷物用車両への暖房供給に必要な電気暖房装着を搭載していたことから余剰となった数機がまさかの遠く離れた下関へと転属し、東京~下関間の荷物列車などで第二の人生を送りましたが、山岳用の機関車であったことから平坦で高速運用には不向きで東海道・山陽本線の乗務員たちの評判はあまり芳しくなかったようです。
新製当初は高崎と篠ノ井に配置されたEF62型でしたが、下関に転属しなかった機関車は信越本線の荷物列車や貨物列車の廃止や客車列車の減少に伴って東京の田端機関区に転属、信越本線の夜行急行列車などで細々と運用されていました。

次回に続きます。