横川駅で下車して碓氷鉄道文化むらの開園時間(9:00)にはまだ少し時間があったのでエントランス周辺をぶらぶらと歩いていたら、運転体験(講習要受講)用のEF63型電気機関車の点検を行っていたので外から様子を眺めてみました。

 現役として働いたのは昭和38年(1963年)から平成9年(1997年)の34年間。碓氷峠での補機としてだけを目的として開発・製造された特殊性から他の線区に移ることもなく、横川機関区(→横川運転区)で生涯を送りました。
 現役時代はその厳めしい面構えもあってか「峠のシェルパ」などと呼ばれていました。
 そしてかの急勾配で列車を安全に導く姿はまさに「シェルパ」の愛称に相応しいものでした。
 彼らは必ず2両1組で列車に連結され、この機関車と協調運転(機関車側で電車の制御も行う)する電車のみならず、協調運転対応をしていない車両の牽引や推進もこなしていました。
 また、碓氷峠を通過できる車両は台枠や連結器などを強化した車両でなくてはならず、「横軽対策」を施された車両は車体側面裾の形式番号の前に必ず「」マークが付けられていました。

 ブロワ音を期待しましたが、それは叶わずにコンプレッサーの音やブレーキ点検をしている排気音だけが響いていました。

 平成9年(1997年)に北陸新幹線が長野まで開業して碓氷峠から在来線が無くなって24年目の春…。
 かつて信越本線をよく利用した私にはいまでもこの機関車のブロワ音が耳に残っています。
 この機関車の現役時代に思いを馳せつつ眺めているうちに開園時間となりました。


 エントランス脇にて。

 入場料(500円)を払ってエントランスをくぐると出迎えるのがこの車両。新幹線軌道確認車です。

 幼児が楽しめる施設もあります。
 485系を模したこの車両…前面の愛称イラストはかつて昼行特急列車最長走行距離を誇った大阪~青森間の特急「白鳥」ふうのイラストマークです。
 大阪から東海道本線~湖西線~北陸本線~信越本線~羽越本線~奥羽本線という日本海縦貫線を走破していた「白鳥」はデビュー当初はディーゼル特急でこの碓氷峠を越える列車もありました。
 大阪からやってきた「白鳥」は直江津駅で青森へ向かう編成と分割されて半分の編成はそのまま青森へ、残りの半分の編成は長野を通ってこの碓氷峠を経て関東平野に出て上野まで運転されていました。

 この「信越白鳥」はその後青森編成から独立、運転区間を上野~金沢間に短縮して「はくたか」となりました。
 上越線と信越本線、北陸本線の電化完成に伴って485系電車化されて上越線経由となって碓氷峠は通らなくなり、上越新幹線開業で姿を消しました。

 しかし、北越急行が開業すると越後湯沢で上越新幹線と接続して北越急行経由で北陸を結ぶ特急列車に「はくたか」の列車名が復活、そして北陸新幹線が金沢まで延伸すると「はくたか」は新幹線の列車名に引き継がれました。そして、運転経路もルーツである東京から高崎~長野~金沢となって現在に至ります。


 信越本線の顔役といえば特急「あさま」
 エントランスからすぐのところに展示されている189系は現役時代には編成の上野方、つまり碓氷峠では峠の麓側に連結されていたクハ189-506です。
 JR東日本になってから189系はグレードアップ改造編成が「あさま色」と言われるカラーに変更、このカラー変更は一般編成にも広がって、新幹線開業により在来線特急「あさま」廃止時点では国鉄オリジナルカラーが消滅していました。したがって、碓氷鉄道文化村開園当初は「あさま色」でした。
 その後、オリジナルの国鉄特急色に戻されたばかりの美しい姿の時に訪れたことがありますが、あれから数年が経過して塗装がかなり劣化してひび割れて錆も浮いてきてちょっと痛々しい姿になっていました。
 本来は内部にも入ることができ、運転台にも入れるのですが、新型コロナウイルス感染防止のため現在は立ち入ることができません。

 サイドの国鉄時代に取り付けられていたJNRマークが誇らしげです。国鉄特急型車両すべてに取り付けられていたものです。

 屋外展示ということもあって傷みが目立ちます。

 次回に続きます。