このシリーズの続きです。

 今回は2回目ですが、しばらく続きをアップすることになりそうです。

 かつてこの先に線路は続いていました。
 最も急なところで66.7‰(パーミル)…つまり、水平距離1,000mの間に66.7mもの高低差がある勾配があるということで、国鉄時代を含めて全国のJR線で最も急な峠でした。

 この数字は勾配に弱い鉄道にすればまるで崖のようなもので、明治26年(1893年)4月1日に車両の台車に取り付けられた歯車とレールの間に敷かれた凹凸型のラックレールを噛み合わせて峠を上下するアプト式によって開業、昭和38年に新線を建設してアプト式を廃止、粘着方式に変更して速度を向上させたり、後にはこの区間で補助機関車として峠の麓側に連結されるEF63型電気機関車と協調運転することによって長い編成を組める電車(169系・489系・189系)が開発されて活躍していました。しかし、平成9年(1997年)、北陸新幹線の高崎駅~長野駅間が開業したことにより長距離旅客が新幹線にシフトすることから廃止されました。
 現在では信越本線の関東側の終着駅となってしまった横川駅。
 高崎駅から北高崎・群馬八幡・安中・磯部・松井田・西松井田の各駅を経て横川駅に至ります。
 乗客が多いのはせいぜい高崎駅から安中駅くらいです。通勤通学時間帯などは高崎駅から乗車した列車が次の北高崎駅に停車すると乗客の半分は下車してしまいます。
 横川駅は交通系ICカードも利用できます。

 駅前に置かれているEF63型電気機関車の動輪。

 小さな駅舎です。
 峠が立ちはだかる小駅ながらここで麓側に列車に補助機関車を連結(峠を下ってきた列車からは解放)するため全列車が停車し、特急列車といえどもちゃんと客扱いをする駅でした。
 通常、このように補機を連結するための停車であれば時刻表のうえでは通過扱い、つまり列車のとびらは開かず、特急列車などは客扱いはしないことが多いのですが、横川駅はすべての列車が客扱いを行っていました(但し、臨時列車の「シュプール信越」や「ファンタジー舞浜」は通過扱いの運転停車でした。このうちシュプール信越は夕方の上り列車については駅弁「峠の釜めし」購入のために扉が開いてホームに降りることができました)。

 その「峠の釜めし」おぎのや本店。駅前にあります。
 駅前の用水路の蓋にはアプト式時代に使用されていたラックレールが再利用されています。
 アプト式が廃止されてから半世紀以上経過しているのに腐食してボロボロにならないとは大したものです。





 横川機関区(→横川運転区)があった時代には出入区する機関車が往来していた線路。埋められていますが、線路は残されています。
 小さな駅であっても機関区があることから広い構内を持つ駅でした。

 次回に続きます。