数年ぶりに碓氷鉄道文化むらへ行ってきました。

 先日、TVKテレビで水曜日の20:00に放映している「鉄道ひとり旅」で碓氷鉄道文化村を訪れていたのを見て久しぶりに行ってみたくなったのです。


 平日の開園一番に行けばイベントなどは無くても密にならずにゆっくり見て回れるかと思って出かけてみたわけです。



 JR東日本・信越本線はもともと群馬県の高崎駅から安中市の横川駅を経て碓氷峠を長野県に入り、軽井沢駅~上田駅~長野駅を通って~黒姫駅を経て妙高高原駅の手前で新潟県に入り、直江津駅から日本海側に出て北上して長岡駅~新潟駅を結ぶ路線でしたが、長野駅まで北陸新幹線が開業すると長距離旅客は新幹線にシフトすることから全国のJR線で最も急勾配である66.7‰の碓氷峠における保守管理に莫大な費用がかかることからローカル列車のみの運行のために路線を維持することは困難であるとのJR東日本の判断で横川駅~軽井沢駅間を廃止、整備新幹線法に則って並行在来線となる軽井沢駅~篠ノ井駅間を経営分離して第三セクター・しなの鉄道に移管しました。
 その後、6年前に北陸新幹線が金沢駅まで延伸開業すると長野駅~妙高高原駅をしなの鉄道に、新潟県側の妙高高原駅~直江津駅間をえちごトキめき鉄道に移管しました。

 このように信越本線は寸断してしまったわけですが、高崎駅~横川駅間と篠ノ井駅~長野駅、直江津駅~新潟駅間はそれぞれ「信越本線」のまま路線名も変化することなく現在に至ります。

 群馬県側の終着駅となった横川駅に到着。
 北関東地区のローカル列車は完全に211系に統一されました。

 編成は横川方から…。
 クモハ211-3014
  モハ210-3014
  クハ211-3014
の3連と…
 クモハ211-3008

 モハ210-3008

 そして高崎方がクハ210-3008
の3連の計6両編成。
 しかし、編成番号がどちらもC13となっているのは実質6両固定編成として高崎車両センターでは運用を組んでいるのでしょうか?どちらの編成も助士席側の前面ガラスの上部内側に掛けられている編成番号札が同じです。

 明らかに3連2編成を連結させているのにと見えますが…。

 首都圏から追い出された国鉄時代末期に製造された211系はJR東日本においては高崎車両センターの車両が信越本線(群馬県内)・上越線・両毛線・吾妻線で使用されています。また、長野総合車両センターに転属した車両は信越本線(長野県内)・篠ノ井線と中央本線(立川~塩尻間)や一部はJR東海管内にも足を延ばして飯田線の飯田駅や中央本線の中津川駅まで乗り入れています。
 どちらも耐寒耐雪対応改造を受けて、前面スカートは近年のJR東日本の新しい近郊型電車同様にスノープラウ一体型となっていること、長野地区のものは帯の色も替わって印象が大きく変わりました。
 長野地区へ転属した211系…松本にて。


 妻面フェチです。

 6両すべてが昭和61年(1986年)近畿車輛製。

 方向幕の行先が横川から高崎にちゃんと変わっていたのですが…。
 なぜか再び操作が行われて…。
 ここは既に横川なんですけど(笑)。

 発車するときに車掌さんが気付いて慌てて再操作して高崎行に修正していました。



 次回以降に続きをアップします。