上田駅からしなの鉄道の普通列車軽井沢行普通列車で少し東京方向へ戻る形で田中駅まで乗車しました。

 田中駅は明治21年(1988年)12月1日に官営鉄道の駅として開業してから130年が経過し、今年は133年目ということになります。
 その間に国鉄~JR東日本と変革があって現在に至っています。
 国鉄時代にはごく一部の急行列車も停車しましたが、ほとんどの優等列車は通過する駅でした。
 現在の田中駅の所在地は長野県東御(とうみ)市。
 東御市は2004年(平成16年)4月1日に東部町(とうぶまち)と北御牧村(きたみまきむら)が合併して生まれた市です。
 史上最強とも言われる大関・雷電の出生の地であり、長野県東部に位置します。
 東の軽井沢町追分で分かれていた中山道と北国街道。中山道は西へ向かって深志(松本)、塩尻を通って木曽路を抜けて美濃~近江を通って京へ至る江戸時代の五街道のひとつ。その脇街道として発展した北国街道は浅間山や菅平などの山々を迂回する形で善光寺(長野市)を通って日本海側へ抜けて出雲崎へ至っていました。
 この田中駅から「日本の道100選」に選ばれている旧北国街道・海野宿まで向かいます。
 田中駅の駅舎。

 田中駅から徒歩18分と書かれており、駅前にはレンタサイクルもあったようですが、天気が良かったこともあって徒歩で向かいます。
 線路に沿うようにして上田方向に戻ります。

 マンホールの蓋は東部町時代のもの。
 海野宿が描かれています。

 上信国境の山並みを眺めながら線路を何回かくぐって歩くのは昔の北国街道?

 線路に沿って高原の田園風景の中を歩きます。
 私以外には誰もいません。
 このところ暖かな日が続いていた東京も風が再び冷たくなってきましたが、当然のことながらこちらはもっと冷たい…日差しは溢れていても頭が寒いです。それでもゆったりとした時の流れを感じて身体全体が風と同化するような心地よさが何とも言えませんでした。
 海野宿まであと900m。
 踏切を渡ろうとすると警報器が鳴ったのでスマホを構えて動画撮影。
 上田方からやってきたのはしなの鉄道色の115系でした。
 列車が通り過ぎて踏切を渡っていると再び警報器が鳴って遮断機が下りてきたので渡ってから再びスマホを構えます。
 反対の軽井沢方からやってきたのは新鋭SR1系。

 海野宿の入口にある白鳥神社。


 有名な真田氏は東信濃に勢力を誇った豪族・滋野(しげの)氏の一族とされる海野氏の分かれという説があり(諸説ありますが、真田幸隆以前の記録が皆無なのでどの説も真偽不明です)、さらに遡ると清和天皇になると伝えられます。つまり清和源氏の流れを汲むことにもなるのですが、中世の豪族は箔をつけるために○○天皇の皇子○○親王を祖と(勝手に?)しているのでこれもどうだか…。

 次回は旧北国街道・海野宿跡を歩きます。