二本木駅から隣の関山駅へ移動しました。

 関山駅は二本木駅同様スイッチバック駅だったのですが、昭和60年(1985年)にスイッチバックが廃止されて現在の位置に駅が移転しました。

 現在の関山駅。
 まるでレストランかケーキ屋さんといった感じの駅舎です。
 信越自然郷は文字通り長野・新潟県境の飯山市・妙高市・中野市・山ノ内町・飯綱町・信濃町・木島平村・野沢温泉村・栄村の9市町村で構成されています。


 旧関山駅は駅舎こそ残されていませんが、ホームや駅名標などはまだ残っています。
 旧駅の駅舎があったと思われる場所から伸びる道路。
 今でも覚えているのは小学校3年生の時に母や叔母に連れられて妹や従兄弟たちと妙高サンシャインランドという現在でも残っている遊園地に遊びに行ったこと…あれから半世紀になろうとしているのに今も覚えています。
 関山駅から川中島自動車(現在のアルピコ交通)だったと記憶しているのですが、古いバスに乗って遊園地まで行ったのでした。

 話は逸れますが、アルピコ交通は松本電気鉄道が母体となり川中島バス(←川中島自動車)・諏訪バスを吸収合併してホールディング化されたアルピコグループ傘下にある会社で、白い車体にパープルオレンジピンクグリーンレッドの5色のストライプが入ったHighland Expressと書かれた高速路線バスを関東や関西などから信州へ向かう高速道路で見かけた方は多いと思います。
 川中島自動車(→川中島バス)は結果から言うと早い話が経営破綻して倒産した会社。
 かつては長野県北信地域だけでなく新潟県側の妙高高原周辺にも路線を持っていました。
 信越本線の長野駅以北の沿線では長野電鉄のバスが圧倒的に多かったと記憶していますが、新潟県側の妙高高原駅を発着するバスは川中島自動車のバスばかりでした。緑と白をメインに屋根部分を赤く塗った車体は千曲川流域の風景に合っていたような気がするのですが…。 
 

 話を戻すと、少年時代のあの時に関山駅前から乗ったバスはキャブオーバータイプながらエンジンはフロントにあるタイプの古いバスで、車内の運転席脇には大きな鉄製のエンジンカバーがあって、熱かったです。運転士の他に女性車掌が乗務していました。
 車掌が首から黒いバックを下げて、乗客にペラペラの切符を売る…私が小学生になった頃までは都会を除けば各地で見られたものでしたが、急速に進められたワンマン化で姿を消しました。バスに女性車掌(バスガール)が乗務しているバスを記憶しているのは私と同世代の方くらいまでかもしれません。


 雑草に覆われていますが、ホームと架線柱が残る旧関山駅。

 拡大するとこのような感じです。


 錆びてしまっていますが、辛うじて読み取れる駅名標。
 現在の関山駅ホームです。画像奥が妙高高原方になります。冒頭にある画像の駅舎は跨線橋を渡った右側にあります。

 反対の直江津方にはスイッチバックじだいの名残が残っています。右側のカープしてくる線路が本線で、左へ分岐しているのが旧関山駅へ向かう線路です。
 小学生だった半世紀前…信越本線のローカル列車の主役は首都圏などから流れてきた70系などの古い電車でした。旧型電車を駆逐した115系1000番台もいよいよ終焉のときが近づいてきて、私も中年期の後半に入っています。世間のことなんて何も知らなかったあの少年時代が懐かしい…。

 最後に関山駅付近のスイッチバック跡をゆくえちごトキめき鉄道の列車の動画をどうぞ…。