新型コロナウイルス感染予防を踏まえた緊急事態宣言が続き私の徘徊もままならない状況で、過去の徘徊画像を見ては懐かしんでおります。













今回は2014年4月11日に訪れたときと2016年6月2日に再訪したときの画像を交えながら振り返ってみたいと思います。

当時の新潟ローカルはまだ115系の天下でした。
このカラーが数種類ある新潟ローカル色のうち一番好きです。

昔(単線時代)の土樽は駅ではなく信号場で、広い構内だったことを伺わせます。
現在は旧ホームの内側に新しいホームが設置されています。
また、小説「雪国」の「国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国だった」の書き出しの舞台であったと伝えられています。

土合駅は清水峠の群馬県側、土樽駅が上越線の新潟県側の最初の駅となります。
上越線の隣を関越自動車道が並行していますが、東京方面から下って長い関越トンネルを抜けるとすぐに土樽パーキングエリアがあり、そのすぐ先の進行方向左側に土樽駅が見えます。

除雪した雪の塊が残っていて、いかにもこの季節の越路といった風景でした。

駅を出て東京方面に少し歩いたところで駅構内を振り返ります。

このあと坂道を下って関越自動車道をくぐり、長岡方向に関越自動車道と魚野川の間の道を歩いてみました。
周囲はまだ雪景色…上信越国境の春の訪れは遅いのですが、4月下旬になると春の女神が訪れて一度に花開かせます。その頃の美しさといったら関東以西の温暖な太平洋側では味わえない風景です。

かつての名撮影地。
私が少年の頃はここを渡る181系特急「とき」や165系急行「佐渡」の写真が鉄道趣味誌によく掲載されていたものです。

1時間近く歩いて隣の越後中里駅までやって来ました。突き当たりが駅で、その向こう側にゲレンデがあるのですが、多くのスキーヤーで賑わうゲレンデの脇を通過する特急「とき」の写真もよく雑誌に掲載されていました。
2年後の6月…再訪したときの高崎駅では6両編成で到着した115系が折り返し水上行となる時に切り離されて3両編成の身軽な編成となりました。

高崎地区の115系は既に過去のものとなってしまいました。

そして水上以北の上越線でも115系はすべて撤退して新しいE129系に変わっていました。

この記事の前半の春と違って2年後の夏のこの時期に訪れると、魚野川の橋が工事のため全面通行止との案内板があったので、駅から関越自動車道をくぐって直進して魚野川を渡って川を隔てた反対側の道を歩くことにしました。

反対側の道は鬱蒼とした山林が続き、道路も起伏に富んでいます。
早い時間は雨が降ったようで、路面が湿っていたので歩いていると蒸し暑くなるかとも思ったけれどもそれほどでもありませんでした。

ここまで歩いてくると越後中里駅までもう一息です。

