特急「(ワイドビュー)しなの11号」は勾配を下りて善光寺平へと入りました。


 旧信越本線のしなの鉄道が進行方向右側に近づいてきて合流、列車はここから信越本線へと入ることになります。

 北陸新幹線が「長野新幹線」として長野駅まで開業した時にJR東日本・信越本線は群馬県の横川駅と長野県の軽井沢駅の間の約11kmが廃止、軽井沢駅から篠ノ井駅までの間が並行在来線としてJRから経営分離されて第三セクター化されました。
 さらに新幹線が金沢まで延伸すると長野駅から新潟県の直江津駅までが第三セクター化され、長野駅から新潟県に入ったところにある妙高高原駅の間がしなの鉄道北しなの線となり、新潟県側の妙高高原駅から直江津駅までの間がえちごトキめき鉄道妙高はねうまラインとなりました。

 信越本線は群馬県内の高崎~横川、長野県内の篠ノ井~長野、新潟県内の直江津~新潟間に分断されて現在に至ります。
 北陸新幹線の下り列車で上田駅を過ぎると長いトンネルを通過しますが、このトンネルを抜けるとまもなく進行方向左手に篠ノ井駅の脇を通ります。
 新幹線と信越本線は長野駅まで並行し、それは北しなの線となった北長野駅の先まで続きます。


 篠ノ井駅を発車した列車は川中島駅を通過してまもなく犀川を渡る鉄橋にさしかかります。
 犀川は上高地から流れる梓川と木曽路から流れる奈良井川が合流して松本市から長野市まで至り、長野市南部の川中島で千曲川に合流、新潟県側に入って千曲川から信濃川に名を変えて新潟市で日本海へ流れ出ます。



 まだ北陸新幹線が開業する前にはこの犀川の鉄橋は信越本線の特急「あさま」「白山」、篠ノ井線の特急「しなの」や国鉄時代には信越・篠ノ井線の急行列車も多く通過していました。
 この鉄橋を渡る列車や鉄道の先の大きなカーブをゆく列車を撮影した写真や動画などは多く紹介されていますので、今回の記事の前面展望の動画をご覧になられたら見覚えのある風景に感じられるかもしれません。





 まだ新幹線が開業する前、東京の上野駅から信越本線の列車に乗って長野県北部の親戚宅へ来るときには私にとってふたつのポイントとなる場所がありました。
 ひとつは碓氷峠、もうひとつがこの犀川橋梁でした。碓氷峠はもちろん関東から信州への境界線であり、麓の群馬県側とは違った寒冷地に多く見られる樹木などが多く自生している風景、そして犀川を渡るとそれまでの東信地域の車窓風景から北信地域のそれへと雰囲気の変化が感じられたものでした。



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