数年前に母ちゃんを引率して碓氷峠の麓を歩いたことを振り返ります。

上野駅から高崎線と信越本線の普通列車を乗り継いで群馬県安中市の横川駅までやってきました。
向かい側のホームには快速「SL碓氷」がスタンバイ中でした。牽引機はC61 20です。
私は蒸気機関車でもディーゼル機関車でも電気機関車でもスノープラウを装着した姿が好きなのですが、とくにSLでは重厚感が増していっそう逞しさを感じます。

かつては駅弁の横綱とまで言われていた「峠の釜めし」…北陸新幹線・長野開業により横川~軽井沢間が廃止となってからの生き残りをかけた奮闘ぶりには頭が下がる思いですが、私が幼少だった頃と比較するとオートメーション化以降は味が落ちてしまったのが残念でした。
とはいえ、信越本線の列車に乗ると横川駅に到着して窓を開けて「峠の釜めし」を購入していた記憶が薄れることはありません。
のちに急行列車が特急列車に格上げされると、特急型車両は窓が開かないのでホームに降りて立売のおじさんやおばさんのところへ走っていって買ったものです。
約5分間の停車時間内であれだけのお客が殺到する状態で的確にお釣を渡して商品を渡す立売の神業といっていいほどの手際よさ、そして列車が発車すると必ず列車に向かってお辞儀をして見送っていたあの光景は廃止後20年以上経過した現在でも色褪せることはありません。

横川駅舎はこじんまりとしていて、いかにも田舎の駅という雰囲気なのですが、ここにはすべての列車が停車して碓氷峠を越えるためにEF63型電気機関車の力を借りていました(昭和38年にアプト式から粘着運転方式に変更となってそれまでのED42型電気機関車からEF63型電気機関車となったのですが、その年に生まれた私は当然アプト式の時代は文献などでしか知ることはできません)。
特急列車であっても例外ではなく、時刻表では通過扱いとなっている「運転停車」ではなく、客扱いも行われていたのです。もし、扉が開かない運転停車だったら特急列車では釜めしを買うことはできなかったことになりますね。

行き止まりとなってしまった軽井沢側。
横川駅付近には妙義山系の山が壁のように立ちはだかり、高崎付近までの関東平野の開けた風景とは一変します。しかも、風雨による侵食で「骨の部分だけが残った」といわれる妙義山の奇っ怪な姿がまさに天険への入口という雰囲気を醸し出しているかのようです。
個人的には群馬県安中市横川というよりは群馬県碓氷郡松井田町横川と言った方がしっくりくるのですが、平成の大合併によりつまらない地名となってしまったところは全国に多く存在しています。
いま、災害が多いのはもちろん地球温暖化などによる異常気象も関係していますが、無知蒙昧な一部の政治家や役人によって行われた市町村合併による地名の変更なども絡んでいます。
もともと災害が多くて人が住まなかったところを造成して宅地にしたために多くの犠牲者を出す大惨事に結び付いていること、地名には深い意味があるのに簡単に変更してしまっていることも決して無関係とは言えないのです。

鉄道にはほとんど興味がない母ちゃん。
しかし、たまに休日が合うとこのように私の徘徊についてきてくれます。