新型コロナウイルスによる外出自粛規制や猛暑などもあって地元の散策も控えていましたが、涼しくなってきたことだしそろそろ再開を考えている今日この頃です。

 古い画像を引っ張り出して眺めていたら以下のようなものがあったので記憶を頼りに振り返ってみようと思います。
 以前のアカウントでは記事にした記憶はあるのですが、内容は忘れました。おそらく似たような記事になるかとは思います。


 東京都足立区の千住(せんじゅ)界隈は江戸四宿(東海道の品川、甲州街道の内藤新宿、中山道の板橋、奥州・日光街道の千住)に数えられ、日本橋を出て最初の宿場町として賑わいました。
 千住宿は大川(隅田川)を境に南側が小千住、北側が大千住と呼ばれ、栄えたのは大千住の方だったようです。
 小千住の方は近くに小塚原の刑場があったりしたことも影響したものか…。
 現代においても荒川区側にある南千住(小千住)と足立区側にある北千住(大千住)では川ひとつ隔てただけでずいぶん雰囲気が違います。

 北千住駅はJR東日本常磐線東武鉄道スカイツリーライン東京メトロ日比谷線千代田線・首都圏新都市鉄道つくばエクスプレスが集まる足立区随一のターミナル駅です。このうち常磐線・日比谷線・つくばエクスプレス線は北千住~南千住間において並行しており、東側がこれらの線路、西側を現在の日光街道である国道4号線が南北に通っています。
 その間を通るのが昔の街道である旧日光街道で、北千住駅から国道へ向かうメインストリートを境に北側が「宿場町商店街」、南側が「千住本町商店街」となっています。
 片側3車線、上下合わせて6車線の大通りである国道4号線には昔を偲ばせるようなものはあまりありませんが、旧日光街道にを歩きつつ少し脇の路地に入ったりすると歴史を感じさせる古いものがわりと残っています。

 大千住の南側には古くから市が開かれ、現代においては東京都の足立市場となっています。



 この辺りには正岡子規や高浜虚子も頻繁に訪れていたそうで、「やっちゃば句会」が行われていたようです。


 かつての市場の賑わいを偲ばせる説明書きも至るところで目にします。



 そして千住は「奥の細道」の旅立ちの地。
 北千住や南千住では松尾芭蕉の像も目にします。


 右は日本橋、左は草加。
 草加は足立区の北側に隣接する埼玉県草加市であり、有名なのは「草加せんべい」。
 現代は隅田川流域の治水対策で人工的に造られた荒川放水路に分断されてしまっていますが、旧日光街道は荒川の北側では国道の西側を平行して都県境のところで国道と交差して草加市からは再び国道の東側を北上します。草加市街の旧道にも昔を偲ばせる貴重な建物が点在していますが、元々はこの辺りは沼地であったため、東側(現代の八潮市付近)へ大きく迂回していたそうです。のちにこの広大な湿地帯を草木で埋め立てて直線で街道を通したのが草加の地名の起こりなのだとか何かで読んだ記憶が…草加松原辺りまで徘徊したときだったかな?

 
 自宅から荒川放水路を渡って往時の千住宿に思いを馳せながら歩くこと1時間ほど…。国道にぶつかるところに現代の東京都足立市場があります。
 市場に入ってすぐのところに食堂が並んでいて、市場の方や仲買人の方々が引いた頃を見計らって行くと空いています。画像は「海鮮特盛ごうか丼」
 もちろんお酒も飲めますが、朝からここで飲んでしまうと復路の徘徊ができなくなってしまうので我慢して、その代わりに晩酌の肴を買い物して帰るのですよ…。



 若き日の森鴎外も千住で過ごしていました。
 しかし、残念なことにその場所はマンションが建設されてしまいました。

 画像は1年半前のもの…それ以来、足立市場へ足を向けていないので、もう少し涼しくなったら朝の散歩がてら出かけてみることにしようかな。