JR東日本上越線・土樽付近


 画像の魚野川に架かる上越線の橋梁の向こうに見えるのが関越自動車道・関越トンネルの新潟県側入口です。かつて私はこの関越自動車道を往き来していたトラックドライバーでした。関越トンネル開通前はここから西側の三国峠を雪まみれになって狭小トンネルの渋滞に参加しながら往き来していたのですが…。

 川端康成の小説「雪国」の「国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国だった」の書き出しはあまりに有名ですが、それは駅に昇格する前の信号場だった土樽が舞台だといわれています。

 上越線の水上・高崎方面へ向かう上り線です。
 上越国境(群馬・新潟県境)には前述の三国峠と上越新幹線・上越線・関越自動車道が通る清水峠が介在します。どちらも急峻な山岳地帯であり、このために鉄道を通すのも高速道路を通すのも非常な難工事を強いられたところであります。それは現代社会においてもこの両県を結ぶ道路は関越自動車道と国道17号線しかないことをみても容易に察しがつきます。

 昭和6年(1931年)に全通するまで東京と新潟を結ぶ鉄道は長野を経由する信越本線か郡山から会津若松を経由する東北本線~磐越西線しかなく、かなりの大回りを強いられていました。
 また、道路も谷川岳を中心とした谷川連峰を越える清水峠はあまりにも険しく廃れて、狭い三国峠(現在の国道17号線)を行くしかありませんでした。

 そこで上越線が建設されたわけですが、多くの犠牲者を出して貫通した清水トンネル、そして勾配を稼ぐために群馬県側の湯檜曽と新潟県側の松川にふたつのループ線を設けて開通しました。
 戦後は現在下り線として使われている新線が建設されてループを採用しない新清水トンネルが直線的に敷設されて上下線は並行したり離れたりして面白い線形を描いています。

 現在、関越自動車道を走っていると車高の低い乗用車では分かりにくいと思いますが、大型トラックの運転席からだと複雑に交差する上越線の線路が見えてその面白い線形が想像できます。
 
 新潟県側の松川ループ。
 直線的に伸びているのは上り線で、この先で時計回りにループを描いていますが、トンネルの中なのでそれを車窓で眺めることはできません。
 右側からカーブしてくるのは下り線で、松川ループを迂回して回り込むようにして列車がやってきます。

 この画像の奥が土樽駅方向(東京方)、撮影している私の背後が越後中里駅方向(新潟方)です。


 このあたりは私が少年の頃には多くの特急・急行列車やローカル列車を撮影した写真が鉄道趣味誌に掲載されていて魅力を感じていたのですが、高校を卒業して社会人になってまもなく新幹線の開業により昼行の優等列車は軒並み廃止されて名優たちは飛び去ってしまいました。

 その後はゆっくり訪れる機会にも恵まれず、トラックで通過するときに深い積雪に包まれた土樽駅のホームの照明が闇夜に浮かぶ様子に旅情を感じで横目に見るだけでした。

 数年前、やっと訪問する気になって訪れたのはいいのですが、上越線の水上駅と越後中里駅の間の定期列車は1日わずか5往復…時刻表を眺めて計画を練って土樽駅で下車して越後中里駅までを歩いてみたのでした。
 ローカル列車はE129系デビュー前でまだ新潟色の115系の天下でした。
 この駅名標は国鉄時代からのものか?

 人も車もほとんど通らない道を歩いて越後中里駅をめざしました。
 ここで181系特急「とき」や485系特急「いなほ」「はくたか」、165系急行「佐渡」などを撮影してみたかった…あと10年、いや5年ほど早く生まれていれば実現できたでしょう。


 土樽駅から越後中里駅の間は徒歩で1時間強といったところでしょうか…魚野川を挟んでふたつのルートがありますが、わりと平坦なのは後半の画像の雪景色が写ったルートで、駅から関越自動車道をくぐって高速道路沿いに歩くルート、前半の夏の風景は駅から関越自動車道をくぐったら魚野川を渡って川を隔てたルートでこちらは鬱蒼とした木々が生い茂る起伏のある道です。

 列車の運転本数が少ないので、走行シーンを撮影するのなら車で来た方がいいかもしれませんが、歩いてゆくのもなかなかいいもので、距離的にも手頃なのでゆっくりと上越線の線形を楽しみながら歩くことをおすすめします。



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 何だろう?
 たまに衝動的に缶ビールを買ってくるのですが、家飲みは基本的に日本酒なのでいつまでも冷蔵庫で眠っています。