米山…標高はそれほど高くはありませんが、山を挟んだ平野部から眺めると周囲に高い山が無いのでひときわ目立ちます。

 その山裾は日本海へと続くため沿岸部は断崖となっていて、同じ新潟県にある富山県境に近い親不知と並んで古くからの交通の難所でした。

 鉄道が好きな私とすれば米山でまず頭に浮かんでくるのはかつて東京の上野駅と新潟県の直江津駅の間を上越線回り(長岡回り)で結んでいた165系急行列車「よねやま」です。
 上野~直江津間の列車といえば信越本線・長野回りの特急「あさま」や急行「妙高」がメインでしたし、上越線で本数が多かったのは新潟駅へ向かう特急「とき」や急行「佐渡」で、わずか1往復だった「よねやま」はちょっと存在感が薄かったかもしれない列車でした。

 小学校低学年の頃、祖母と妙高高原駅のホームで「よねやま」のサボが差し込まれた165系電車がゆっくりと通過していった記憶が薄く残っています。
 上越線回りのこの列車が妙高高原駅を通ることはなく、乗客も乗っていなかったことから回送列車だったと思われますが、長野工場で検査を受けていた編成が新潟運転所へ返却回送されていたのか、それとも何らかの事情で長野運転所の169系がこの列車の運用に就く事情があって回送されていたのか、、今となってはもちろん調べる術もありません。
 ただ、回送列車のわりには室内灯が点灯していたような記憶が脳裏に残っています。このときが「よねやま」という列車の存在を初めて知ったときだったことは覚えています。

 上越新幹線開業により上越国境を越える昼行優等列車はすべて姿を消し、「よねやま」もその例外ではありませんでした。

 時を経て北陸新幹線が長野まで開業して信越本線からも上野駅発着の優等列車が姿を消して、長野以北では長野~新潟間の地域間特急列車が設定されましたが、こちらの列車名は「みのり」(のちに廃止されます)、そして新潟県内の快速列車として特急型車両485系を使用して停車駅も特急とほとんど変わらない「くびき野」が新井~新潟間に設定されましたが、そのどちらにも「よねやま」の列車名が返り咲くことはありませんでした。

 快速「くびき野」。JR東日本信越本線・新井。

 いっぽう「妙高」は標高2,454mの妙高山を列車名とした急行列車でしたが、国鉄時代末期に施行された国鉄の増収策の一環として全国的に行われた急行列車の特急格上げにより多くが特急「あさま」となり、夜行列車として国鉄分割民営化後も1往復のみが残っていました。
 しかし、こちらものちに急行「能登」に統合されるかたちで消滅しました。
 ところがその消滅期間は意外と短く、長野まで新幹線が開業すると長野駅から先を接続するかたちで普通列車ながら指定席車両も連結され、189系特急型車両を使用した普通列車「妙高」として復活しました。
 普通列車「妙高」。

 そした北陸新幹線が金沢まで開業すると「くびき野」「妙高」は廃止され、「妙高」の列車名は再びお蔵入りしてしまいました。

 山の規模の差こそあれ、どちらも新潟県上越地域では象徴的な山です。何らかのかたちで再び列車名に使われて復活するといいのですが…。





「◯◯の秋」、あなたはどんな秋にする?



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「父ちゃんは徘徊の秋にしたいんだよね🎵」

「そんなことはないぞ❗やはり読書の秋だよ」

「私は俳諧の秋にするんだよう🎵」

「また季語をふんだんに入れるのかい?」

「父ちゃん、そこは個性を出さなくちゃ🎵」

「……」

「一句できた❗」

「もう閃いたのか?」

「焼きさんま 松茸香り 紅葉狩り」

「母ちゃん…他所では詠まないようにな」