前回は6年前の11月2日に乗車した信越本線の普通列車「妙高3号」に乗車したときの長野~北長野間の車窓の動画をアップしました。


 長野駅には名古屋から中央本線~篠ノ井線を通ってやってくる特急「しなの」もほぼ1時間間隔で運転されているので、JR東日本エリアにおいてステンレス車体にオレンジ帯といういかにもJR東海の車両といった感じの383系の姿も見ることができます。

 また、広大なJR東日本・長野総合車両センターには長野地域色の115系や211系、そしてかつてのあさま色の189系や国鉄色の183系の姿も写っていたのでご覧いただいた方にはこの6年の間に姿を消した車両たちを見て時の流れを感じられた方もいらっしゃるかもしれません。


 このときは伯母のところへ顔を見せに長野へやってきたのですが、幼少の頃から私をとても可愛がってくれたこの伯母も翌年に亡くなって個人的にはこの6年があっという間に感じます。


 今回は前回の記事の続きを動画で振り返ってみようと思います。



 このとき乗車した長野総合車両センターのN101編成は両端のクハが183系1500番台、中間の4両が189系という編成。



 中間の189系は新製以来長野総合車両センター(新製配置された国鉄時代は長野運転所)で過ごしてきた車両で特急「あさま」で活躍していたのですが、両端の183系は国鉄時代に新潟運転所(現在の新潟車両センター)に新製配置され、特急「とき」で活躍、上越新幹線開業による「とき」廃止で千葉の幕張電車区(現在の幕張車両センター)に転属、総武本線の東京~錦糸町間の地下線乗り入れ対応としてATC取り付け等の改造を受けて1000番台から1500番台へと変わった車両です。
 上野方のクハ183-1528はクハ183-1028として製造された新製当時からなぜか前面の飾り帯がなぜか少し低い位置に取り付けられている変わり者。この変わり者はもう1両あってクハ183-1027として製造されて同じく1500番台に改造されたクハ183-1527と2両だけ存在した珍車でした。
 新幹線が長野まで開業したのちに長野へ転属してきて一時は中間の189系が纏っていた「あさま色」に塗り替えられていましたが、晩年はこの編成すべてがオリジナルの国鉄特急色に戻されました。画像は国鉄特急色に戻された後の姿です(直江津にて)。



 妙高高原~黒姫間をゆくN101編成。


 朝日を浴びて黒姫山をバックに長野へ向かうN101編成の快速「妙高2号」。「妙高」は普通列車ですが、この2'号だけは快速列車で新潟県内では主要駅のみの停車でした。


 さて…動画に戻りますが、このときの乗車ではなぜか北長野~三才~豊野~牟礼間では動画が残っていませんでした。もしかしたら、11月2日で翌日が祝日ということもあって乗客には家族連れやグループ客が多くて声や咳などが多く入っていて消去してしまったのかもしれません。迂闊なことでした。
 豊野~牟礼~古間の間は千曲川の支流である鳥居川に沿って山間部へと入ってゆく区間で、群馬・長野県境の碓氷峠は別格として信越本線のうちでも最も山岳路線的な雰囲気を味わえる区間です。
 動画は牟礼駅と古間駅の間を走行中のものですが、豊野駅から北の区間では「一里一尺」と昔から言われるほど信越国境に向かってどんどん積雪が深くなる区間です。
 わが国有数の豪雪地帯となるこの区間では同じく「妙高」から撮影した車窓の雪景色も記録してあるので別の機会に改めてアップしようかなと考えています。

 余談ですが、この付近では鳥居川を挟んで国道18号線が並行しているのですが、かなり前に車で東京に戻る時に11月の頭のこの時に雪が降り続いた年があって、このとき真っ白に雪化粧した飯縄山と裾野に絨毯のように広がる紅葉の組み合わせがとても美しかった記憶があります。おそらく滅多に見られない景色だったのでは…。
  
 次回はこの続きをアップするつもりです。




家に仏壇ある?

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 小さな仏壇ならあります。立派なのは置く場所がなくて…。
 今回アップした長野県北部は「豪雪と寺のまち」として有名な飯山市に近いからなのか、やたらと仏具店の広告看板が目につきます。
 そういえば飯山の寺めぐりもしばらく行っていないなぁ…。