今日は東京の国鉄(当時)山手線に初めて冷房車がデビューした日なのだそうで…。
駅間が短くで扉を頻繁に開閉し、しかも扉の数も多いので通勤型電車には不向きとされていた概念を打ち破ったのが関東の大手私鉄の京王帝都電鉄(現・京王電鉄)京王線の5000系(先代)でした。
京王帝都電鉄は関東の私鉄では早くから冷房化率が高かった私鉄でした。
一方、国鉄では特急列車はともかく、急行料金を取る急行列車でも非冷房の列車は珍しくなかった時代で、当時少年だった私が住んでいた広島県の山陽本線のローカル列車は非冷房の80系ばかりだったのです。
私が東京に引っ越してきた当時は国電と呼ばれていた中央線・総武線・山手線・京浜東北線・常磐線の通勤型電車の101系や103系は非冷房車の比率がかなり高かった時代でした。
中央線では冷房改造された101系や103系、最初から冷房車として登場した103系200番台や300番台が10両編成すべてが冷房車で組まれていましたが、山手線や京浜東北線は10両すべてが冷房車で組まれた編成はわずかで、前後3両ずつが冷房車で中間4両が非冷房車という編成が多かったと記憶しています。
ひどいのは両端の車両だけ冷房装置を搭載して中間8両が非冷房車で組まれていた編成とその反対に両端は非冷房車で中間の8両が冷房装置を搭載した編成でした。これは冷房を作動させることができないので事実上の非冷房編成で「騙された」方も多かったと思います。事情を知らなかった利用者の中には当時悪化の一途を辿っていた国鉄の労使関係の影響かと勘違いしていた方もいたかも…(?)。
また、総武線や常磐線には冷房車の編成は存在すらしていませんでした。
私は東京に引っ越してきてから横浜市の東京急行電鉄(現・東急電鉄)東横線の沿線に2年半ほど住んでいたことがあるのですが、こちらにも悪名高き「空ラ―車」が存在していました。
当時の東急は冷房化率も低くて、東横線で主に急行運用に就いていたのは非冷房の7000系や7200系で、夏の暑い日は急行ではなくて冷房車の8000系や8500系の確率が高い各駅停車狙いで乗車したものでした。
しかし8000系はとんだ曲者で、屋根の上に分散式冷房装置のカバーが着いているのに中身は空っぽ…つまり冷房機器が無い「冷房準備車」が多く存在していたのです。
冷房車がやってきたと思ったら窓全開…当時の東横線を利用していた方は覚えていらっしゃることと思います。
さて、本題とは関係の無い前置きが長くなってしまいましたが、早ければ明日には関東地方も梅雨明けというので、山手線に冷房車がデビューした日ということもあって私の思い出を絡めて述懐させていただきました。
本題へと移ります。
私が乗車している北陸新幹線「かがやき510号」は埼玉県中央部の熊谷市にさしかかりました。
車窓は熊谷市街地となり、熊谷駅を通過します。
明日から暑くなるという関東地方…熊谷市がニュースや天気予報に登場することも多くなることでしょう。
暑い日に飲みたい飲み物といえば?
普段はビールはあまり飲まなくて、家飲みではほとんど日本酒ですが、あまりにも暑いとたまにはビールが飲みたくなりますね。