昨年訪れた早春の湯檜曽駅。
JR東日本上越線の湯檜曽駅は群馬県北部の利根郡みなかみ町にあり、東京側から見ると温泉で有名な水上駅の次の駅になります。
群馬県の駅ですが、定期列車では群馬県を代表する都市である高崎駅から直通する旅客列車は存在せず、1日5往復の定期旅客列車はすべて新潟県側からやってくる列車です。これは旧国鉄時代に上越線は水上駅を境に南側が高崎鉄道管理局、北側が新潟鉄道管理局だった頃の名残でしょうか?
ちなみに上越線は旧新潟鉄道管理局だった水上駅付近から新潟県側の土樽駅の間の群馬県側区間は国鉄分割民営化時に旧高崎鉄道管理局に移管され、現在は高崎支社となっているのですが、列車の運行形態を見る限りは定期旅客列車の車両は新潟車両センターのE129系で、雰囲気的には新潟支社の路線といった感じです。
国鉄時代には高崎駅から長岡駅方面を直通するローカル列車も存在しましたが、現在では行楽期に臨時列車がたまに運転されるのみです。

下り線は新清水トンネルに入ってすぐのトンネル内にホームがあります。
上越国境に立ちはだかる谷川連峰を貫通する清水トンネルの難工事の末に昭和6年(1931年)に単線で全線開業した上越線、昭和42年(1967年)に新清水トンネルが開通して複線化されました。
もともとの路線は上り線となり、新線が下り線となって現在に至りますが、上り線の湯檜曽駅と土合駅は地上駅であるのに対し、下り線の両駅はトンネル内に位置しており、ことに土合駅は地上の改札口まで徒歩でおよそ10分かかることで有名です。
上り線は急勾配に対応するためループ線が設けられており、列車は画像奥の山腹を左方向からやってきて右方向にある湯檜曽トンネルで弧を描いて反時計回りに進んでこちらへやってきます。
上り列車に乗車していると、湯檜曽ループにさしかかるときに進行方向右側の車窓から眼下にこれから通る線路が伸びているのが見え、この橋梁の先に湯檜曽駅ホームが小さく眺められます。ただし、ループにさしかかる列車が速度を落としているとはいえ見えるのはほんの一瞬と言ってよく、注意して車窓を見ていなければ見落とします。
関越自動車道が開通する前の三国峠はトンネルが狭くてトラック同士のすれ違いは最徐行しなくてはならず、丸太を満載したトレーラーなどやってくるとすれ違いが大変でした。
当時トラックドライバーとして駆け出しだった頃の思い出としていつも対向車とトラックのミラーと自分のトラックのボディーをトンネルの壁にぶつけないように注意してすれ違っていたこと、冬などは豪雪の峠を雪まみれになって往復していた三国峠は外すことはできません。
湯檜曽は水上温泉郷の一番奥に位置し、大きなホテルや旅館が建ち並ぶ水上温泉街とは違って山間にひっそりと数軒の旅館が点在する何もない静寂なところで私好みのところです。
この画像を撮影した昨年、「冬になったら宿泊で来たいものだな」と思っていたのですが、父が倒れて入院~死去、そしてこの新型コロナウイルスによる感染拡大防止のためもあって私の徘徊どころではなくなってしまいました。
私が小学生の頃に森進一さんが歌っていた「ゆけむりの町」という歌があったのですが、個人的にはあの曲が思い出されるのです。

水上駅から湯檜曽駅方向を眺める…列車が上越国境に立ちはだかる谷川連峰と清水峠にここから挑むという雰囲気があり、広い構内にはかつてここから新潟県の石打駅までを列車の補機として働いていた電気機関車が屯していました。
そういえば上野駅全盛時代には水上駅までを急行「ゆけむり」が走っていましたが、のちに特急格上げされたときに「草津」「あかぎ」「なすの」など他の北関東地区の急行列車はその名称が継承されたのに急行「ゆけむり」は新特急「水上」に変更されてしまいました。
「草津」「あかぎ」は現在も残り、「なすの」に至っては東北新幹線へと発展しているのに対し、私が好きだった列車名「ゆけむり」は上越線で復活することなくお蔵入りしたままです。
憲法、何条まであるか知ってる?
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