コロナ騒動が始まってから不要不急の外出は控えてはいましたが、緊急事態宣言から一夜明けた今日は先月亡くなった父のことで、済ませなくてはならないこともあって深夜勤務明けでそのまま調布市に住む母のところへ出かけてきました。


 江東区の勤務先から調布市へ向かうには東京メトロ東西線で九段下駅まで行って都営地下鉄新宿線に乗り換えて笹塚駅経由で京王電鉄京王線へと乗り換えます。


 朝の8時過ぎの東西線…西船橋から中野へ向かう電車の特に東陽町駅から茅場町駅の間の混雑といったら日本一なのだとか…。

 それが最近はすし詰めとまではいかないほどになっていますし、都営新宿線も車内はかなり空いていました。


 九段下でやってきた都営新宿線の電車は笹塚止まりだったので、京王線の準特急に乗り換えたのですが、これがまた朝の下り列車とはいえ「お好きなところへお掛けください」状態でした。


 笹塚駅の次の代田橋駅を通過中の画像。
 このように車内をスマホで撮影できるほどに空いていました。
 父が亡くなる前には同じように深夜勤務明けの休みのときには入院している病院へ向かうのに京王線を利用していましたが、これほど空いていることはありませんでした。


 千歳烏山駅で準特急・橋本行から下車。後続の各駅停車を待ちます。乗ってきたのは8000系。

 準特急を見送ります。目的地のつつじヶ丘駅は急行までは停車しますが、特急と準特急は停まらないのでここで乗り換えなくてはなりません。
 それにしても…京王線沿線住民ではない私には聞き慣れない「準特急」という種別の呼び名にどうも違和感を覚えてしまいます。

 
 すぐに特急・高尾山口行が通過していきます。こちらは9000系でした。


 反対の上り線に停車しているのは7000系各駅停車です。

 今更ながら…7000系には大きく分けてふたつの顔があることに気付きました。上の画像と下の画像を見比べてみてください。


 やってきた各駅停車は7000系の各駅停車・高尾山口行。前述の上り各駅停車の側面はコルゲート板が昔ながらのステンレスカーといった感じで凹凸が多いのに対し、こちらの高尾山口行の側面は異なるものです。

 旧5000系のデザインは当時の京王帝都電鉄のイメージを一新させるかのような素晴らしいものだったと思いますが、その後登場した6000系や7000系はお世辞にも「美しい」とは言えない気がしていました。当時の鉄道車両のデザインからすると特別に酷かったわけではないとは思いますが、そう思わせるほどに先代の5000系が美人だったのでしょう。
 8000系からは少し洗練されたものになったかなとは思いますが、京王電鉄初の有料座席指定列車に使用される新5000系の前面スタイルの斬新さはさすが名車5000系を襲名するだけのことはある気がしますね。


 各駅停車とはいえ、私が乗車した車両は他には乗客がゼロでした。
 さすがにここまで空いているとは思いませんでした。


 つつじヶ丘駅で下車しました。

 何も食べていなかったので、母との待ち合わせ時間までの時間潰しも兼ねて駅の立ち食い蕎麦屋へ入りました。

 ほたるいかと独活のかき揚げそばとミニカレー。
 そばは中盛りサービスでした。
 

 



今日はタイヤの日


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 以前は車での通勤だったけれど、管理職になってからは電車通勤で乗ることも少なくなったので手放してから何年になるかなぁ…。