今日は世界気象の日
天気予報、毎日みてる?
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毎日見ています。
高校時代、選択した授業の冬休みの課題で新聞に出ている北海道から沖縄までの各主要都市の前日の天気と降水(雪)量、気温、湿度などの統計を毎日記録して天気図のデータなども併せてレポートをまとめるよう先生から命ぜられました。
新聞に出ていることだけをまとめるだけのレポートなら小学生レベル…それでは自分でも面白くないので博物館や図書館にも出かけてちょっと専門的なことも調べてはマニアックなレポートをまとめたことを覚えています。
決して健全な高校生活を送っていたとは言えなかった私でしたが、気象や地学には妙に興味を持って勉強したのか、提出したレポートはいつも誉められていました。
地学の先生は頑固でまず生徒を誉めることなどなかった「偏屈ジジイ」なんて言われて人気がなかったのですが、なぜか私のレポートを返却するときには「お前よくここまで調べて詳細に分かりやすくまとめたな」と言ってみんなの前で大きな声で誉めてくれたものでした。
しかし、本当のところは私には課題について研究するということを口実とした下心があったのです。
それは…勉強するぶりを装って好きな鉄道旅をするという親に対する口実でした。
「○○へ行って課題の資料を集めたいから旅費を出してほしい」とか言って父に切符代をねだったようなものでした。

私が勉強を口実に鉄道旅をすることはきっと両親には見え透いていたものだったでしょう。母はあまりいい顔をしませんでしたが、普段は私には優しい顔を見せなかった父は自分も鉄道好きだったせいか「ダメだ❗」などとは言わず、聖徳太子を1枚出してくれました。
もちろんどこかの旅館に泊まるなんて贅沢はできませんから、夜行の普通列車で東京を出て車中泊でのスタート、少ない資金でなるべくたくさんの列車に乗ったり遠くへ行きたかったのでほとんど鈍行乗り継ぎ、どうしても時間を節約したいときには仕方なく優等列車を使うのですが、高い特急列車は極力避けてなるべく安い急行列車を利用しました。
重宝したのはずっと後にJRになってから全車指定席の快速となる「ムーンライトながら」の前身である大垣夜行でした。
たしか熱海から豊橋くらいまでは主要駅以外はすべて通過する普通列車でしたから学生やビジネスマンに人気が高くて、座るために何時間も前に東京駅のホームに並んだものです。
この大垣夜行で豊橋駅まで行って飯田線に乗って辰野駅までの全線を乗車、さすがに遅くなって辰野駅からは急行「アルプス」で新宿駅まで帰ったことがありました。
あの時、計画を父に言って旅費をねだったときの父の言葉…。
「旧型国電に乗りたいんだったら身延線もいいぞ」
「一万円やる。飯田線より身延線に行った方が安く上がるからその分旨いものでも食ってこい」
私は天竜峡などを回って地学の課題のレポートをまとめるためという建前を言ったのですが、私の目的はお見通しだったのでしょう。
私には甘い顔をしなかった父でしたが、そこは男同士…きっと理解を示してくれたのでしょう。
このような旅をしたときにはもちろんレポートを仕上げるための資料を集めたり、どこかを見学したりしたものですが、それはほんのお触り程度…しかも帰宅してから1時間程度で適当に仕上げたレポートでした。あれでよく先生から誉められたものだと思います。
先日、父が他界したその場に居合わせたことができたときにそんなことを思い出していました。
父の呼吸が停止したとき、看護師さんが「まだ心臓が動いているから声をかけてあげてください」と言った時、耳元で大きく「育ててくれてありがとうございました」と言ってまもなく、医師が父の死を確認しました。