昨日は南風が強くて薄手の上着でも歩いていると少し暑くなってくるほどの東京都心部でした。
その暖かさの中を所用があって中野区まで出かけてきました。
中野駅北口の駅前デッキにてJR東日本中央線快速電車のE233系基本編成と付属編成の連結部。

東京駅をめざして発車していきました。次の停車駅は新宿。奥のホームに見えるのは東京メトロ東西線の15000系。
中央線はオレンジ色の帯の快速と特別快速・通勤特快が東京から高尾(一部は大月、河口湖まで)、青梅線へ向かう青梅特快などがありますが、東京~中野間を快速運転して中野からは各駅停車となるのが快速(土休日はさらに吉祥寺まで快速運転)、中野までは快速と同じ停車駅でさらに三鷹と国分寺のみ停車で立川から先は各駅停車となるのが中央特快と青梅特快というように快速運転を行います。
そして東京駅には行かず、御茶ノ水駅から総武線に直通するのが中央・総武線各駅停車で、こちらは黄色い帯の電車です。早朝・深夜を除けば各駅停車は三鷹~中野~御茶ノ水~津田沼~千葉間の運転となっており、便宜的にはオレンジ帯の電車を中央線と呼び、黄色帯の電車を総武線と呼ぶ人が多いのではないでしょうか…。

快速が出た後でやって来たのはE353系による特急列車。特急「あずさ」をはじめとする中央本線の特急列車はE353系に統一されましたが、まるで小田急電鉄のロマンスカーみたいなピポパポパ~ンというミュージックホーンがJRの特急型車両に採用されているのがどうも違和感に包まれてしまいます。
かつての国鉄特急型車両のタイフォンと空気笛を組み合わせた音の方が旅情を感じるのは世代のせいでしょうか?

終点の新宿まであと少し…すぐ前に快速電車が発車して間もないのでゆっくりとした速度で通過していきました。
余談ですが、湘南新宿ラインのための新しいホームを建設するために新宿駅の中央線ホームを少しずつ西口方向へずらすという大工事が行われたことがありました。
その時は中央本線の東京~中野間は終日運休となり、特急列車はすべて普段は通過するこの中野駅を始発駅として甲府や松本へと向かっていました。

中野駅前の中野サンプラザ。

中野サンプラザの隣には中野区役所があって敷地内の「プリンセス雅」が満開でした。

プリンセス雅は現在の天皇陛下が皇太子時代に雅子さまと御成婚された記念に植樹されたそうです。

みなさんも小学生の時に習ったことでしょう。
江戸幕府第五代将軍・徳川綱吉による後世に語り継がれるほどの「生類憐れみの令」と「犬屋敷」。
江戸中の野良犬たちが中野に集められて犬囲いにて保護されていたという話…。
現在の中野駅の辺りを含めた広大なエリアの数ヶ所に犬囲いが設けられていたそうです。

こちらは中野の地名の由来と歴史について記されています。何でも武蔵野の中央に位置するので中野の地名になったのだとか…知りませんでした。
現代では東京から山梨県や長野県の中信エリアへ向かう鉄道路線といえば中央本線ですが、江戸時代は甲州街道がメインルートでした。
明治時代になって中央本線の前身である甲武鉄道の建設計画が持ち上がったときに甲州街道沿いの調布や府中などの宿場町の人々により「鉄道が開通すると旅籠が潰れる」「煙害に悩まされる」などと言って猛反対に遭ったため甲州街道沿いの建設を断念して現在のルートに変更されたなどと真しやかに書かれた本を少年の頃に読んだことがあります。
調布や府中の村の有力者から猛反対に遭ったというのもあながち無かったとは言えないでしょうが、実際のところは土地の買収がしやすかったなどの理由が大きかったのではないでしょうか…。
というのも、中央本線の東中野~立川間約23kmはほぼ一直線に敷設されており、この直線区間の長さはJR線ではJR北海道の室蘭本線・白老~沼ノ端間における約28kmに次ぐ長さです。
つまり、甲州街道が通る調布や府中などが栄えていたのに対し、それより北側のエリアは武蔵野の原野が広がっていたのでしょう。
残念なのはそれほどの直線区間が続くのに複々線区間は三鷹まで、しかも快速電車は都心部に近い中野を出ると各駅停車となるのが特急列車の到達時分短縮のネックとなっているのではないかということです。せめて八王子くらいまで複々線で、快速の停車駅は現在の特別快速の停車駅である中野・三鷹・国分寺・立川くらいに絞っていれば…などと思ってしまいます。常磐線や総武本線の快速と比べるとどうしても見劣りしてしまいます。

所用を済ませた私はこのあと急に思いついたことがあって、いつもの徘徊癖が出てしまいました。
そのあたりのことは次回にでも…。
今日は春分の日
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苦味のある山菜が好きです。