パリから約145km アミアンへ。
ピカルディー地方の首都。
<世界遺産> アミアン大聖堂 Cathedral d'Amiens (1981年登録)
ここの大聖堂には “バプティスマのヨハネの頭部” といわれる聖遺物があります。
ワロン・ド・サルトン(Wallon de Sarton) が第4回十字軍から期間する際、コンスタンティノープルからもたらしました。
夏の夜と新年に行われる、ソン・エ・リュミエール(Son et lumière) と呼ばれる 「音と光のショー」 では、彫像が塗られたオリジナルの色を見ることができます。
1220年に着工されてから わずか68年で完成。ゴシック様式の大聖堂としてはフランス最大規模を誇るのだとか。
屋内で彫刻したものを組み立てていったので、これほど早く完成したのだそう。
豊臣秀吉の一夜城(墨俣城)みたい
身廊の高さは国内最高の 42.5m。
大聖堂内部 ステンドグラス
私は ゴシック建築の大聖堂が
あの、がらーんとした石に囲まれた空間と天に伸びるような身廊を歩いていると、とても 厳かな気分になります。
それに
やっぱり フランスの大聖堂のステンドグラスは見事です
もともと ステンドグラスとはゴシック美術が興った北フランスで発展していったのです。
もっとじっくり見たかったなぁ
サン・ルー地区。 St-Leu
「北の小さなヴェネツィア」と称される地区。日本料理店などもありましたが、まだ殆どのお店は閉まっていました。
世界遺産の大聖堂以外特別見るものはなさそう
約120km 走り続けて ルーアンへ。
ノルマンディー地方 ルーアン。
その歴史はローマ時代まで遡ります。ノルマンディー公国の首都としても栄えました。
救国の少女 ジャンヌ・ダルク終焉の地でもあります(15世紀)。
ルーアン大聖堂 Cathédrale Notre-Dame de Rouen
1603年に創建され、その後何世紀にもわたって改修を繰り返してきました。
現在も修復中
印象派の画家、クロード・モネが連作を描いた大聖堂。
大聖堂内部
ここのステンドグラスも見事です。
ジャンヌ・ダルク像
インフォメーションセンター(大聖堂の真向いにあります)
モネが大聖堂の連作を描いた建物で、その当時は 「パリ・モデルヌ」 というショップの下着売り場だったののだそう。
インフォメーションセンターでは 絵葉書やパンフレットほか、ちょっとしたお土産も販売しています。
大時計通り。木骨組の家々が建ち並びます。
ルーアンの街のシンボル。一本針の大時計(14世紀 ルネサンス様式)。
内部は「時」をテーマにした博物館で、14世紀の時計のメカニズムなどを展示してあるようです。
旧市場広場へ。ジャンヌ・ダルクが火刑に処せられた広場なのですって。
ジャンヌ・ダルク教会 Eglise Ste-Jeanne d'Arc
モダンな建築の教会です(1979年 ルイ・アレッチ設計)。
アルミニウム製の十字架が立つ場所がまさにジャンヌの火刑跡です。
右は 『オルレアンの乙女像(ジャンヌの彫像)』(1926年 マキシム・レアル・デル・サルト作)。足下に花が一輪、飾られていました。
教会内部。ステンドグラスが見事です。1944年に爆撃で破壊された聖ヴァンサン教会内陣のステンドグラス(ルネサンス様式 1520-1530)。聖ペテロに捧げられました。
ジャンヌ・ダルク(1412-1431)
英仏百年戦争中に突然現れた救国の少女。1425年のある日、突然神の啓示を受け、1429年オルレアンを解放し、王太子シャルルをランスに導いてフランス王シャルル7世として戴冠させました。1430年コンピエーニュで捕らえられてルーアンに送られ、異端審問裁判にかけられ魔女として断罪されてしまいます。
1431年5月30日 19歳で火刑に処せられました。
広場の周りには16~18世紀、ハーフティンバー造りの家屋が建ち並びます。
ハーフティンバー(half timbering) とは、北方ヨーロッパの木造真壁建築の技法のことで、半木骨造とも呼ばれます。アルプス以北の北方ヨーロッパ(英、独、仏)の木造建築に多く見られます。
再びバスに揺られること 約254km
今晩は モン・サンミシェル地区のホテルへ宿泊です。
長距離の移動はキツいけど、翌日の観光先で泊まれるのは次の日楽かも