東京都豊島区を歩く4
放浪日 2024年10月14日
当時の復元度が凄すぎる
【トキワ荘マンガミュージアム】を歩いて観ています
ここはミュージアムなので、各部屋に展示があり
各部屋を訪れる形で観覧が出来るようになっていました
あもんも当時【トキワ荘】に住んでいたら
給料が入ったらまず【だるまや】さんでビールを頼んでいたと思いますw
まずは、1931年・昭和6年の椎名町のアルバムから観て行きましょう
西武池袋線の【椎名町駅】が出来たのが1924年・大正13年
【大和田通り】地域は長崎町で人口密度が1位であったのですね
【椎名町通り】は地域生活道路として栄え
ダット乗合自動車(バス)も走っていたのですね~
人が暮らし始めると商店街のお店も増えてきます
都心より少し離れているけど、都心では作れない絆があったのでしょうね
映画館【洛西館】もあったのですね!
この映画館でギャラをほとんど使ったという漫画家さんもいたのでしょうw
1950年~1960年代の豊島区は戦後復興で栄えた区のひとつです
やはり、【池袋】の整備がその起爆剤となったのでしょうね
そして、地方からの若者たちの受け入れのために
椎名町にアパートが次々に建つ様になったのですね
闇市で栄えていた時代の【池袋駅西口】の写真ですか
ひとつひとつの家屋が大きい気がします
洗濯物の多さから集合住宅だったのかもしれませんね
再開発にはまず大型百貨店の建設からでありました
1962年・昭和37年には駅前の【西武百貨店】と
【丸物百貨店(現パルコ)】がもう出来上がっています
当時の主要交通手段は路面電車とバスでありました
ん??トロリーバスが走っていない?
池袋にもそんな時代があったのですね~
【トキワ荘通り】の写真も展示されています
現在このミュージアムがある場所のかつての光景です
時計店にカバン店、ガラス店に床屋、映画のポスター
何不自由なく生活ができる商店街だったみたいですね
お金を持っていればですけどw
お店の広告か?と思ったら、開店祝いの紙でありました
お互いに“助ける人”と“助けられる人”を大事にしていた
相互扶助が強かった時代だったんですよね~
漫画家が暮らし始めた【トキワ荘通り】は
どのように変わって行ったのでしょうか?
漫画家専門のアパートとして造ったわけではないが
たまたま手塚治虫先生が住んだことがきっかけで
漫画家が集まるようになりました
そうそうたるラインナップですねw
【トキワ荘】というグランドで
先輩から後輩へのバトンタッチが行われていたと思います
このお部屋では小さなテレビが流れていました
寺田ヒロオさんのお部屋です
ん?よく観たら、窓からの景色も復元をしています!
復元建築物でこのシリーズは初めて観たかも!!
こちらのお部屋も復元されているシリーズです
水野英子さんのお部屋です
水野さんは日本の女性少女漫画家の草分け的存在で
トキワ荘に居住した漫画家の紅一点みたいです
955年・昭和30年に15歳で漫画家デビューをして18歳で上京
石森章太郎さん、赤塚不二夫さんと【トキワ荘】で合作作品を作っています
日本の少女漫画始まりは手塚治虫先生の“リボンの騎士”だと言われています
そのイズムを継承したのが水野さんと言われています
この【トキワ荘】での暮らしがきっかけとなったのでしょう
【トキワ荘】での暮らしには
かなりの勇気とガッツが必要だったのでは?と思いました
でも、ちまたでは“女手塚”とか喜ばしい呼ばれ方をしたそうですw
その頃はまだ、少女漫画は発展途上の状態であって
この【トキワ荘】在住の漫画家たちがよく描いていたそうです
あの少女漫画の“キラキラ過ぎる目”は
【トキワ荘】の誰かが初めて描いたのかもしれませんよねw
繊細な心理描写や恋愛要素を重視する作品が中心な少女漫画も
この【トキワ荘】で産声を上げていたのかもしれませんよね
この張り紙は当時のままですか?復元ですか?
生々しさがありますよね
水野さん提供の写真には当時の様子が!
これは、ひどいw
写真からすると犯人は藤子不二雄Aさんと
赤塚不二夫さんではないでしょうか?w
良い意味で、イメージ通りですがw
ということで、続きます






























