夢と現実の歯車が上手く噛み合わなかった姫路市の“姫路モノレール事業”でありました | あもん ザ・ワールド

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兵庫県姫路市を歩く26

放浪日:2019年11月4日

 

【手柄山中央公園】にある【モノレール展示室】で、バスガイドさん達の歴史に浮気しつつ、“姫路モノレール”の歴史を学んで観ていますw

【モノレール展示室】の場所は“姫路モノレール”の“手柄山駅”そのものです

特級酒灘菊の歴史も気になっています

1910年創業の姫路の酒蔵会社だそうです

姫路市はマニアックなファンが個人サイトなどで姫路モノレールの魅力を語り始めたのに気がつき、2011年に閉鎖されていたホームを改修し、車両の常設展示を始めたそうです

そんな姫路市のアクションに答えたファンはここを訪れ

2012年度には10万人近い人が訪れ、姫路モノレールの再評価の声が高まったそうです

さて、隣の駅は“大将軍駅”

この駅も当時としては物凄い取り組みがされていたのです

この模型の建物は1966年に建築された“高尾アパート”と言う公団住宅でした

1階と2階は商業施設、3階と4階はモノレールの駅、5階から10階までは賃貸住宅でありました

そして、駅の名前は“大将軍”!!

この賃貸住宅に住んだらお殿様になれた気がしますよね!ww

おお!これは、モノレールをトレーラーに積み込んでいる写真です

トレーラーがボンネット型と言うのも歴史を感じられます

道を切り開きながら輸送していますよ!

これは凄い!

『道がなければ、切り開け!』と言う情熱が日本初の公営モノレール建設にはあったのでしょう

出来立ての坂道を登っていくモノレール

かなりの重量なので困難を極めたでしょうね

モノレール高架線路の建設風景です

人が二人歩ける幅はありますが、手すりも何もないスリリングな建設現場です

今では考えられない光景ですが、当時はこれが普通であったのです

おお!モノレール乗り場が出来上がりましたか?

ウエルカムゲートが少し未来っぽいというのが分かります

大盛況なご様子!!

総工費14億5千万と8か月の工期を要したそうです

【姫路大博覧会】の開幕日である1996年4月6日の3日前に開業予定でしたが

台風や集中豪雨などが影響して開業に間に合わず、会期後半の5月17日にようやく開業したそうです

そんな困難な工事だったからこそ、この時の歓喜は大きかったでしょう

『今の日本には無い、未来な日本を造るんだ!』と言う情熱がそこにはあったのでしょうから

『高架の上を電車が走って大丈夫?落ちたりしないのかな?』

と言う心配をされたお客さんもいたのでしょうね

でも、なんとか高架にしがみ付きながら走っています!

姫路の町になんとも未来的な光景が広がる様になりました

まるで空を走っている列車の様です!!

交差点がありませんから、渋滞することなし!!

まるで、おとぎ話の国へ行っているような感覚だったでしょうね

これは、ちびっ子たちは大はしゃぎだったと思われます

『お城からモノレールが出てきた~~~』

現代におっさんがこの光景を観ても、興奮すると思いますw

そんな夢を乗せていた“姫路市営モノレール”の現物展示がされています

運転手さんはちょっとお疲れモードww

多くの楽しそうなお客さんを乗せていましたから、安全運行に気を使っていたのでしょうねw

リアル蝋人形がまだ居たww

外を眺めているつもりでも、外から眺められていますよw

【姫路大博覧会】の時は夢の乗り物でありましたが、博覧会が終わると利用客は潮が引くように減ったそうです

その大きな理由は、運賃の高さでした

並行する山陽電鉄の同区間料金は30円だった時代に100円でありました

コーヒー1杯が50円の時代であるので、タクシーより高いというのが現実だったそうです

物珍しさに1回は乗ってはみたが、経済的には毎日は乗れないという現実です

公営がこの様な運営ではダメになってしまいますよね

現在もお客さんが一人乗っているだけですw

当時の日本人がワクワクしながら乗った席に座って観ましょう!

姫路モノレールに初めて乗りましたが、懐かしい匂いがするかもしれません

このロックは?窓のロックでしょうか?

窓の外にはめがねセンターの広告が

めがね女性がガン見していました!!w

そこまでガン見されたら、照れるよねw

世界一のモノレールと言われた“姫路モノレール”

姫路市が採用したのは、アメリカ航空機メーカーのロッキード式でした

コンクリート軌道の上部と左右に鉄のレールを付け、それを車両側の車輪で押さえて走ります

軌道をゴムタイヤで直接挟む方式より揺れが少なく、高速を出せることを売りとしていました

ただこれが、高料金の原因でもあったらしいです

一回運転で、八千円の赤字って!!公共事業としては大失敗と言う悲しい結果です

モノレール休止で小学校がひとつ建つレベルまでいったみたい!

開業当時は、姫路市内に環状線を建設する!とか、

日本海の鳥取まで路線を延伸する!などの構想があったそうでが、それは無理だと判断

1974年に将来の可能性を残して“休止”とされましたが

1979年に将来の可能性も諦め、廃止と言う結果となったそうです

夢と現実の歯車が上手く噛み合わなかったという事でしょうね。。。

 

ということで、続きます