兵庫県尼崎市を歩く5
放浪日:2019年11月3日
京都・奈良に勝る人気の町であった尼崎市の寺町を歩いていたら、城っぽい建物が見えたので行って観ました
『えっつ!尼崎城?尼崎城って、明治維新の廃城令で無くなったんじゃないの?』
実は【尼崎城】は2019年3月に復活したのでした
パンフレットには“尼崎は、ジョーたっぷりの城下町!”と書かれ
『え、尼に城が建つ?うそやろ!?』
『いやいや、実は立派な城下町なんや!』
と書かれています
情の町、尼崎に尼崎城が再建された。そう、尼崎は昔も今も城下町なのだ!
そんな『ジョーの町』には他にもジョーがいっぱい
『人ジョー』溢れる温かい商店街、『愛ジョー』いっぱいのご当地グルメ、『旅ジョー』にひたる寺町の寺院
『ジョー熱』がぶつかるボートレースジョーに、美しい『ジョー景』をつくり上げるフォトジェニックなコージョー群、そして、『ジョー緒』豊かな人形ジョー瑠璃
歴史、文化、グルメ、レジャー。。どれをとってもオモロさ満載!
尼崎ジョー下町は、あなたのジョー識を超えます
と、城だけに“ジョー”を繋げたアピールもしています
【尼崎城】は大坂夏の陣後、江戸幕府が大阪を直轄地として西国支配の拠点とするために、1617年に築城されました
四層の天守閣を持ち、三の丸まであった【尼崎城】は、甲子園球場の約3.5倍の規模で、8~9階建てのマンションに相当するものだったそうです
兵庫県下で天守閣があった城は【姫路城】と【尼崎城】だけだったそうです
城主はきっと“ジョー機嫌”だったでしょうね~w
歴代城主は12代も続き、西国の動向を監視し続けましたが
意外にも戦には使われなかったそうです
最後の城主・松平忠興は日本赤十字社の設立に尽力した人物です
歴代城主は“ジョー況判断”が正しい人物ばかりだったのでしょうw
訪れた年の3月にグランドオープンとあって、大人気でありました
みなさん、“旅ジョー”にひたっているのでしょうか?w
そして、一番驚きは、この【尼崎城】再建は、民間人の寄贈だったという事です!!
旧ミドリ電化の創業者は、創業の地に恩返しがしたいという“ジョー熱”で
お城は行政が造るモノという“ジョー識”をひっくり返したのです!!
行政はこの寄贈を聞いて、“ジョー談”だろ?と驚いたことでしょうw
おお!尼崎今昔写真館があるではありませんか!
この写真館を見つけたあもんは、“感ジョー”が高ぶりました!w
大正4年にすでに、“工ジョー”があったのですね!
日本の“工ジョー産業”が尼崎にもあったのです
大正7年にすでに、麒麟麦酒も作っていたという!
“ジョーッキ生”は尼崎から生まれたかもしれません!←やや、苦しいw
おお!“廃ジョー”直前の“尼崎ジョー”か!
お城の前に立っているのは“ジョー夷志士”なのか?←だんだん苦しくなってきたぞw
昭和39年年末の割烹着を着た“ジョー性”たちだ!←そろそろ、諦めますか?w
奥のアドバルーンを眺めているのは、“ジョー子高生”か?←もう、諦めましょうw
やはり、現代で言う“ジョーK”ですよね~←もう、止めなさいw
路面電車“金魚鉢”のラストランの姿です!
みなさんとお別れするために、“ジョー行運転”だったのでしょう
↑これ、結構上手じゃない?w
最後の“ジョー客”も涙涙の“ジョー車”だったのでしょう
↑これは、決まった!!w
ん~~この写真に尼崎の“ジョー”はあるのか?
と考え続けて、10分は経っています
あった!!“ジョー三信用金庫”があった!
↑それは、間違いです!!正しくは“ジュウソウ”ですから!
ということで、このくだりは終了しますw
“尼崎は、ジョーたっぷりの城下町!”と宣言している尼崎市の【尼崎城】でした
高層マンションと【尼崎城】が並んで観えます
こうして観ると、高層マンションも【尼崎城】の一部みたい!
これは、珍しい“ジョー景だジョ~~”w
尼崎市さん、これで悪ふざけをしたことを許してくださいw
ということで、続きます