長崎県東彼杵郡川棚町を歩く6
放浪日2019年8月16日
川棚町が日本一のくじゃくの町だったのだと知り
入場料無料の【大崎自然公園】で
くじゃくの“広げた羽”を観に来ましたが
時期的に、くじゃくが羽根を広げない時期だった!という結果でした
でも、こんな出来事も楽しい旅の記憶ですよね!
ドンマイ♪あもんです!
えっつ!笛を吹いたくじゃくが羽根を広げて行進してくれるの?
基本、羽を広げるくじゃくはオスだけでそうですが、メスっぽい!
現代は、特殊変異とかで人間に恋するメスくじゃくとかいるのですか?
なんでやねん!そんなのおるか!
ツッコミを頂きましたww
くじゃくをロゴマーク風にすると、可愛らしい
センスの良い芸術作品ですね
こちらも良き芸術作品!!
手形アートは昔流行った気がします
【くじゃく園】は季節ごとに楽しみいっぱいです
くじゃくが羽根を広げてくれなくても、違う楽しみを味わえます
くじゃくのヒナがいました
あまりじっくり観ることが無いかも
子供ながらも羽が立派に仕上がっていますね
枯葉の様な羽が絵画の様になっていくのは摩訶不思議
何を食べたら羽が絵画の様になっていくのでしょうか
遠くにいるのは山羊です
あっつ、こっちに気づいた
この山羊の餌を欲しがっているのか?
残念ながら、在庫はありませんでした
結構なロン毛山羊ですw
立派な角も持っています
聞けば、ここの山羊は気性が荒く、襲い掛かってくる例が多いそうです
この様なくじゃくの羽が観られます!
皆さんは、時期を見計らってお越しください!
えっつ!川棚町には、“かわたな戦隊クジャクマン”がいるの!w
“ち”と書いている悪と戦ってくれています
『余裕で逃げれらるもんね~』とか言ってそうですがw
なんだ!こいつらは!w
お店の饅頭を盗んで、食べ歩きしている!悪いヤツめw
車を走らせていると、クジャクマン発見!
クジャクマンもスピードを落とす急カーブらしいですよ
頭の羽が3枚になって、スーパークジャクマンになっている??w
さて、川棚町でもうひとつ、訪れたい場所であった【特攻殉国の碑】にやって来ました
ここで、震洋特別特攻隊が祀られています
【川棚臨時魚雷艇訓練所】の全貌です
臨時にしてはかなりの大きさの訓練所です
この頃の日本のマンパワーが凄い
これが“国家総動員法”の威力ですか?
『必中轟沈』の猛訓練って!
若者たちに託されたマンパワーは悲しいモノでした
震洋は小型のベニヤ板製モーターボートで特攻兵器でした
船首部に炸薬を搭載し、搭乗員が乗り込み操縦、目標艦艇に体当たり攻撃をする兵器です
昭和19年、日々悪化する太平洋戦争の戦局を挽回するために日本海軍は
臨時魚雷艇訓練所を横須賀からここに移し訓練を行いました
急迫した戦局に処して、全国から“自ら志願して集まった若者たち”が訓練を受けていたそうです
遠く南海の果てに若き生命を惜しみなく捧げられた卿等の崇高なる遺業をとこしえに顕彰する
そう綴られていました
震洋も模型が展示されています
秘匿名称は、特攻兵器として4番目であるため“㊃金物”と呼ばれていました
陸軍も同じく四式肉薄攻撃艇“マルレ”を作っていて、二つ合わせて“マル八”と呼称されていました
【特攻殉国の碑資料館】はこの日、お休みでした
もっとじっくり考えたかったのに、残念です
実物大の復元震洋を観たかったのに!
震洋は国内および海外拠点各地に海上輸送により配備されました
しかし、すでに海上輸送線は限られた状態だったので、移動中に攻撃される場合も多くあったそうです
出撃できぬまま陸戦に巻き込まれるケースも多く、予期せぬ形で戦死された方も多くいたそうです
終戦間近では、本土決戦に備えて6,200隻の震洋が完成しており、4,000隻近くが実戦配備についていました
ルソン島の戦い、沖縄戦でも戦果を挙げているとされています
“されている”という表現しかできないのは理由があります
彼らは防衛司令官の直轄扱いでは無く、攻撃の有無・成否・戦果などは各部隊で管理されていました
実践では部隊ごとに全滅してしまうケースが多かったため、実践投入に関する実情は不明な所が多いのです
したがって、現代では、米軍が記録した水上特攻戦果に対して
震洋・マルレが配備された地域で、日本軍側の戦果報告記録が無い場合は
“震洋・マルレの成果である”とされているそうです
ここでは、特攻隊員が訓練を受け、その内3511名の尊い命が戦争で奪われました
せめて、戦没者と戦果を後世に伝えられるシステムを作って欲しかったですね
名もなき戦果を挙げた彼らは今どこの海で静かに眠っているのでしょうか??
現在では小さな尊い命を守るために
クジャクマンは川棚町で活躍をしています!
ということで、続きます