“チューチョクさん”が情熱で創り上げた【武雄温泉新館】をじっくり観てみよう! | あもん ザ・ワールド

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佐賀県武雄市を歩く4

放浪日2019年8月15日

 

1300年の歴史がある【武雄温泉】を歩いて観ています

大正4年に“日本近代建築の父”と称された辰野金吾が設計した【武雄温泉新館】が見事に復元されています

復元工事が完成したのは平成15年です

当時の華麗な姿が蘇り、当時の大衆浴場の様子が分かります

また、大正天皇の為に造られた幻の浴室も復元されたそうですよ

そして、ここは温泉施設では無く、資料館となっています

老朽化により昭和48年に大衆浴場は閉鎖され、後に一部崩壊しましたが

皆さんの熱い想いで復元されたことを嬉しく思います

【武雄温泉新館】を造ることに情熱を注いだのは

“九州の虎”と呼ばれた実業家“チューチョクさん”です

武雄温泉組の三代目組長となったチューチョクさん

情熱のきっかけは九州鉄道が通ったことと、源泉を掘り当てたことでしょう

『温泉を竜宮城にしてみせる』とみんなに宣言しました!

現代のルフィの言葉の様に説得力がありますよねw

辰野金吾さんもチューチョクさんの情熱に感化されたのでしょうね

まさか、チューチョクさんもこのナゾナゾがあるとは思わなかったでしょう

いやいや、二人の情熱的なイタズラなのかもしれませんよ!

そう妄想していたら、楽しくなってきましたw

とはいえ、庶民の憩いの湯ができたのがチューチョクさんの功労でしょう

ここで疲れた身体を癒して、チューチョクさんに感謝感謝です

あっつ!そうだったの!

凹凸が見られる“大正ガラス”は技術が乏しかったからだったの!

それは、現代では造れないですよね

日本人の技術は大正時代から飛躍的に上がっていきましたから

美しく対照的な建物であります

当時はタイルや大理石が画期的だったようで

ん?シャワーって、“如露”と書くのですね!まさに露の如くw

まだまだ資料館は続きます

いい加減に温泉に入りたくなってきていますがw

おお!現代の日本では海外からしか手に入らない“トガ材”を使っている

ん?トガとツガって何が違うんだろう?と思って調べたら

関東では“ツガ”と呼び、関西では“トガ”と呼ばれるだけで、同じでした

日本の偉人が多く武雄温泉のことを語っているそうです

それだけ、有能なお湯だったのでしょうね~

おお!宮本武蔵は佐々木小次郎に勝った後に、武雄温泉に逗留していたのか!

宮本武蔵は晩年、熊本に住んでいるので、ちょいちょいここにも来ていたのかもしれませんね

さて、再び浴室を見てみましょう

今度は男湯なのでドキドキすることなく見学することができます

これは、大正時代からあるでしょう!

基本、女湯と男湯は一緒でしたw

美しい対照的な建物ですから、そうですよねw

建設当時、この床タイルが画期的でした

『なんですか!これは!滑るじゃんか!』と驚く大正人が想像できます

『これぞ、大正モダンやね~』と当時に若者はワクワクしたことでしょう

ちなみに大正3年には、東京駅が開業し、宝塚少女歌劇の初演、女性パーマが流行、日本初のエスカレーターも設置された時代です

そう考えると、大正初期って楽しい時代だったのでしょう

戦争もしていましたが、それはまだ庶民には遠くで起きていたことです

『なんですか!これは!』が日本中で育っていった時代です

大正初期の若者たちは、これからどこまでモダンになっていくんだろう~とワクワクしていたことでしょう!

まさか、日本軍が後に若者たちのこのワクワクを削除してしまうとは

この時誰も予想は出来なかったことでしょうね

ん?人気画家が武雄温泉で絵を書いている?

みんなが覗き込むようにガン見していますw

あっつ!彼は山下清さんでは!!

『恥ずかしくて描きにくいわ~』という顔をしていますねww

まあ、ご褒美におにぎりを貰ったと思いますがw

 

ということで、続きます