岡山県倉敷市玉島を歩く8~【西爽亭】には世代を超えて人々が集まっていた!~の巻 | あもん ザ・ワールド

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君へと届け 元気玉

放浪日 2019年4月28日

 

久しぶりに“商店街歩き”がしたくなりました

この頃のあもんは、ちょい鬱状態から脱却していました

普段のあもんに戻ったとたん、『商店街を歩きて~』となったわけですw

 

この日のターゲットは“岡山県倉敷市玉島”です

江戸時代に港町として繁栄した地域で

昭和の高度成長期を残すレトロな町として注目が集まっています

あの映画“ALWAYS三丁目の夕日”のロケが行われたみたいです

ちょっと元気のない【留川排水機場】に

『これからも、頑張れよな~』と告げて、次へ向かいます

ん?同志社大学の創設者が泊った宿があるの?

歩いていると【西爽亭】という建物を見つけました

歴史あるお宿だと思われます

前の道が狭かったので、全景を取るためにこのポジショニングです

屋根が見事に剥がれていますw

【西爽亭】よりこっちの方が気になったという結論でしたw

【西爽亭】は公共公開施設でありました

入場も無料だったので、迷うことなくお邪魔して観ましょう♪

おお!国の貴重な国民的財産だったとですか!

玉島にこの様な建物があったとは知りませんでした

見事な松があるお庭です

【西爽亭】は備中松山藩の御座所にもなっていた柚木家の邸宅です

1781年から1789年に建てられたと伝えられています

江戸時代の藩主板倉候が玉島を巡回する折に宿泊した宿であります

その他、多くのお偉いさんが泊った宿でもありました

玄関から入って“取次の間”と“次の間”へ続きます

立派な兜が飾られていました

そういえば、“男の子日”まであと少しですね

鎌倉時代の兜を参考に造られた兜です

こうしてまじまじと兜を観るのも久しぶりかもしれません

“次の間”から“上の間”を眺めます

お殿様の宿だということで、豪華絢爛かと思いましたが、違うようです

でも、ゆったりとした数寄屋風の書院で、不思議と落ち着きます

こうゆう“落ち着き”を求めて殿様は通ったのでしょうか?

3匹の“張り子の虎”が出迎えてくれました

こうしてまじまじと“張り子の虎”を観るのも久しぶりです

虎は勇気があり、勝負運に強いことから男児の成長を願って飾られてきました

首を振る所が愛嬌あって可愛らしいですよねw

新島襄さんはこの洋式帆船に乗って玉島まで来たそうです

備中松山藩には格別の恩義と愛着を感じていたそうです

お?新島さんの写真かな?

“熊田”さんという新しい人物がっ!

聞けば、彼は備中松山藩士で、鳥羽伏見の戦いで活躍したそうです

その後藩主から帰藩の命をうけるも、幕府側だった備中松山藩は新政府からは朝敵とされていました

新政府軍だった岡山藩は直ちに玉島の町を包囲し戦火が起こりそうな状態でした

そこで、熊田さんは、行動を共にしている部下150人余りの助命を嘆願し

なんと!この部屋で自刃したそうです!!

自らの命と引き換えに多くの部下の命を救った功績が語られています

そして、天井にはその血拭き跡が残っているという!!

色が剥げているあそこでしょうか?

さて、お手洗いに行って観ましょう

ここは、お風呂だったところ

おお!珍しい小便器!

殿様専用なので使用できませんでしたw

隣には畳敷きの大便器!

これまた、珍しい

昔、漫画“お坊ちゃまくん”のトイレはこんな感じだったはず

こんな感じで100畳の広さだったはず!と思い出しました

殿様専用なので使用できませんでしたw

“お坊ちゃまくん”は特別に使用できるかもしれませんw

お庭も小さいながら楽しい雰囲気です

てか、このコスプレイヤー集団は何なのでしょう?w

入った時から気になってはいましたw

素敵な庭で写真撮影をしています

ドサクサに紛れて撮影しようかとも思いましたが

そこは遠慮して、このアングルだけですw

誰のコスプレかは全く分かりません

彼らの会話から、この撮影会で知り合った人が多いみたいです

備中松山藩士や同志社大学創設者が愛し

無念の自刃の歴史もある【西爽亭】は

現代ではコスプレイヤーが集うお宅となっていました

でもこれも、建物にとっては嬉しい事です

世代超えて、いろんな人々が集うことが建物にとっては嬉しい事なのですw

 

ということで、続きます