愛媛県新居浜市を歩く4~新居浜市に存在する【東洋のマチュピチュ】を観に行こう!~の巻 | あもん ザ・ワールド

あもん ザ・ワールド

君へと届け 元気玉

放浪日:2018年3月16日

 

愛媛県新居浜市にある【マイントピア別子】を訪れています

283年の歴史のあった【別子銅山】

そもそも、日本では7世紀ころから巨大大仏などが建造されている歴史から

銅が豊富に採れていたと言われています

日本の鉱山業はその当時からあったとされましたが、庶民の必需品とはならなかったみたいです

15世紀末の戦国時代になると、各地の大名が軍事力強化のために鉱山業を開発し始めました

世界では大航海時代を迎え、ヨーロッパの国々が次々と訪れる様になったため

諸外国は日本の金銀銅を交易品に用いることで利益を上げていきました

一時期、日本の銀は世界の産銀量の三分の一を締めるまでになったと言います

江戸幕府が開かれる頃には銀の生産にかげりが見え始め

それに代わって伸びたのが銅でありました

足尾銅山、常陸、長門、周防、豊前などで銅山が開かれ世界へと輸出されたそうです

この写真にある“東平”という地域は大正5年から昭和5年まで

別子鉱山の本部が置かれていた場所です

標高700mを超える山間を切り開いた山腹に鉱山施設が造られました

ここから瀬戸内海まで運搬され、世界へ輸出されていきました



鉱山閉山後その施設の多くは撤去されましたが

石積み施設の一部は残されております

石積みの巨大な遺構が山腹に建ち並ぶ様は

かつてそこに壮大な営みがあったことを想起され

【東洋のマチュピチュ】と称されるようになったそうです



残された石積みが荒廃した砦の様に見えます

過去の栄光を物語る遺構がこの様に形で東平には残っているみたい

まるで、西洋の城跡の様ですね

これぞ、天空の城です!


選鉱場と貯蔵庫跡だそうです



そりゃあ水樹さんも大熱唱するわ!


水樹さんの様な地元民は小学校の遠足等で訪れているかもしれません

沢口さんだって大熱演するわ!w

どの様な経緯で東洋のマチュピチュへとたどり着いたのでしょう




鉱山開山当時は大変だったでしょうね

現代では仲持衆も観光の武器となっておりましたw

さてさて、【マイントピア別子】を訪れた一番の目的は

この【東洋のマチュピチュ】

降っていた雨も止んだので、絶景を拝めるぞ!

と、ワクワクしながら車を走らせました

結構な悪路でも、頑張って辿り着きました

【マイントピア別子東平】というエリアで観光施設となっております

真っ白なんかい!!ww

雨は止んだものの、【東洋のマチュピチュ】は雲の中に隠れていましたw

でも、これぞ!天空の城!

選ばれた人の前にしか現れないという伝説がありますが

あもんは選ばれし人ではなかったというオチですww

 

ということで、続きます