広島市内を歩き飲み食べて観る86~広島市中区東白島【広島逓信病院旧外来棟被爆資料室】①~の巻 | あもん ザ・ワールド

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君へと届け 元気玉

放浪日:2017年11月22日

 

広島市内の昭和建物を観て歩いていると

やはり辿り着くのは“被爆建物”です

あもんは1020代の頃、そんな建物が並ぶ広島の町が嫌いでした

今となっては、嫌いと言って“広島の原爆”を学ぶことを避けていたのでしょう

大人になっての平和学習”をするようになり

広島の原爆と真正面から向き合い、被爆建物に耳を傾けることにより

生まれ故郷 広島”を知ることになりました

 

さて、広島市内では被爆建物を巡る旅がしやすい環境にはなっておりますが

被爆建物が現在でも公共施設として使用されている所も多々あります

そんな“現役被爆建物”を観る機会があるのが平日限定という所もあるのです

この日、あもんは珍しく平日休日を取得し、観たことのない被爆建物と向き合う事としました

まずは、【広島逓信病院旧外来棟被爆資料室】からです


観覧希望者は広島逓信病院に問い合わせをして、案内をしてもらいます

昭和10年、広島逓信診療所として開業

日本郵政建築の先達、山田守氏の設計だそうです

窓を大きく開けたデザインを病院に適用したのは

この建物が最初だったそうです

平成7年に旧外来棟の一部に被爆資料室と復元手術室を設置して

一般公開してくれるようになりました


資料室までの案内が終わると、自由に見てください仕様でした

これはじっくりと観察できて、有難い

旧手術室から観てみましょう

外壁部分が全面ガラス張りとなっており、現代でも珍しい構造です

日光を多く取り込むことにより殺菌効果を促し

無菌手術室として利用していました

冷たく怖いイメージの手術室を日光で明るくして恐怖を除く

そんな設計者のトリックもあったのでしょう

壁床タイル張りというのも菌を蓄積させないためでしょう

若干、緑色がかかった珍しい色です

このRタイルは今では貴重な建築資材です

タイルは当時のモノだと記載されていました

旧消毒室がありました

医療器具などの消毒作業が行われていた部屋です

原爆により消毒用の道具などは一切失われましたが、タイルは当時のままです

石鹸置き場でしょうか?

ふむふむ

戦災を免れるために移設された玉石です

失ったもうひとつの行方が気になります


今ではしっかりとした証として活躍中

被爆地から約1.3kmだった【広島逓信病院】は

8月6日の朝に一瞬でこの様になりました

実はこの日より前の5月20日に当院長の特命により

入院患者全員に退院措置を行っていました

幸か不幸か分かりませんが、入院患者の原爆被害は無かったそうです

大きな窓が災いして、医療機器類のほとんどを失う被害を受けたそうです

建物の原爆被害の痕跡が今でも残されています

階段室にある大きな窓です

その名も“被爆サッシ”

今では見事に復旧を遂げました

このハンドルで開閉をするのですね

なるほど~昔のロボットアームの様な仕様ですね

窓の外は今、細い雨が降っています

あの頃は黒い雨を受け止めた窓が

平和となった現代の細い雨をどのような気持ちで受け止めてくれているのか

それは、この建物を訪れ平和学習をした人のみ感じれるものでもあります

続きます