放浪日:2017年11月4日
東城を旅して、帰路についています
中国山地を車で走っていたら、時折見事な紅葉が見られました
かつては、紅葉ハンターとして全国を旅していた あもんは
この時も紅葉をハンターしたいという衝動に包まれ
安芸高田市で有名な紅葉スポットに立ち寄ることにしました
【唯称庵跡のカエデ林】です
広島県の天然記念物となっております
おおー丁度いい感じに仕上がっております!
実は、あもんは以前、安芸高田市の隣である北広島町に住んでいたことがあって
この【唯称庵跡のカエデ林】を何度か紅葉ハンターしていました
しかし、紅葉ハンターの難しいところで、中々“丁度いい”時にはハンターできないものなのです
今日はメインに狙ったわけではなかったけど
なんとも素晴らしい表情を見せてくれるではありませんか!!
うむ、満足じゃ~
以前の旅の時、こんちくしょうと帰ったことを思い出します
やはり、旅は“7割ぐらいの満足”で帰った方が良いものですね
残りの3割をこんちくしょうとしておけば
数年後のここを旅することはなかったですから
しかも、以前の旅の時よりも何倍も楽しめていますから!
さて、思ったよりも早く帰れそうなので、もう一つ寄り道をすることにしました
安芸高田市にある【安芸高田市歴史民俗資料館】です
安芸高田市と言えば“毛利元就の里”で有名な地です
毛利フェチの方にとっては、聖地にもなる所です
きっと、満点の笑顔でこの顔ハメパネル撮影をされるのでしょうw
常設展示で毛利家の展示をされていました
内部は撮影禁止なので、写真は撮っていません
毛利元就は中国地方を平定したことで有名です
毛利家の次男として誕生した元就は
家督を継いだ兄と兄の息子の相次ぐ死去により27歳の時に家督を継ぎます
毛利家の大将だった時代は決して連戦連勝ではなかったご様子で
50歳の時に長男隆元に家督を譲り、次男元春に吉川家を相続させたり、三男隆景を小早川家の養子へ入れたりとして、家族みんなで戦略を達成させた結果、様々な戦に勝利を治めます
元就が67歳の時に長男隆元が急死し、孫の輝元が家督を継いでいます
毛利家が中国地方を平定した時は元就は70歳の時でした
そして、御年75歳で自ら築いた【郡山城】で死去します
【百万一心】
元就の発した有名な言葉です
当時の建設現場では工事が難攻した時に“人ばしら”を埋めて難を防ぐのが当たり前だった時代です
郡山城築城も難攻を示していたため“人ばしら”を埋める案が出ました
その“人ばしら”に志願したのが、昔元就に助けられた娘でありました
元就は“人ばしら”を埋めること自体に反対をし、代わりに【百万一心】と石に掘って埋めよと命令したそうです
そして、【郡山城】がこの資料館の後ろにそびえているのです
正確に言えば“郡山城跡”であり、城の建物は現存しません
郡山を登山することによって当時の面影を味わうのが【郡山城】の楽しみ方となっております
おお!日本100名城のひとつだったのですか!
郡山城歩きは1日かけてゆっくり楽しみたいので
今回は【郡山城】歩きは止めておくことにします
またこの日の旅も“7割ぐらいの満足”で終わりたいですから~
↑2019年5月に【郡山城】を歩き旅しました
その旅日記はまた、数年後にアップされるでしょうw
続きます