広島県安芸高田市を歩く1~旅は“7割ぐらいの満足”で帰った方が良いものです~の巻 | あもん ザ・ワールド

あもん ザ・ワールド

君へと届け 元気玉

放浪日:20111

 

東城を旅して、帰路についています

中国山地を車で走っていたら、時折見事な紅葉が見られました

かつては、紅葉ハンターとして全国を旅していた あもんは

この時も紅葉をハンターしたいという衝動に包まれ

安芸高田市で有名な紅葉スポットに立ち寄ることにしました

【唯称庵跡のカエデ林】です

広島県の天然記念物となっております

おおー丁度いい感じに仕上がっております!

実は、あもんは以前、安芸高田市の隣である北広島町に住んでいたことがあって

この【唯称庵跡のカエデ林】を何度か紅葉ハンターしていました

しかし、紅葉ハンターの難しいところで、中々“丁度いい”時にはハンターできないものなのです

今日はメインに狙ったわけではなかったけど

なんとも素晴らしい表情を見せてくれるではありませんか!!

うむ、満足じゃ~

以前の旅の時、こんちくしょうと帰ったことを思い出します

やはり、旅は“7割ぐらいの満足”で帰った方が良いものですね

残りの3割をこんちくしょうとしておけば

数年後のここを旅することはなかったですから

しかも、以前の旅の時よりも何倍も楽しめていますから!

さて、思ったよりも早く帰れそうなので、もう一つ寄り道をすることにしました

安芸高田市にある【安芸高田市歴史民俗資料館】です

安芸高田市と言えば“毛利元就の里”で有名な地です

毛利フェチの方にとっては、聖地にもなる所です

きっと、満点の笑顔でこの顔ハメパネル撮影をされるのでしょうw

常設展示で毛利家の展示をされていました

内部は撮影禁止なので、写真は撮っていません

毛利元就は中国地方を平定したことで有名です

毛利家の次男として誕生した元就は

家督を継いだ兄と兄の息子の相次ぐ死去により27歳の時に家督を継ぎます

毛利家の大将だった時代は決して連戦連勝ではなかったご様子で

50歳の時に長男隆元に家督を譲り、次男元春に吉川家を相続させたり、三男隆景を小早川家の養子へ入れたりとして、家族みんなで戦略を達成させた結果、様々な戦に勝利を治めます

元就が67歳の時に長男隆元が急死し、孫の輝元が家督を継いでいます

毛利家が中国地方を平定した時は元就は70歳の時でした

そして、御年75歳で自ら築いた【郡山城】で死去します

【百万一心】

元就の発した有名な言葉です

当時の建設現場では工事が難攻した時に“人ばしら”を埋めて難を防ぐのが当たり前だった時代です

郡山城築城も難攻を示していたため“人ばしら”を埋める案が出ました

その“人ばしら”に志願したのが、昔元就に助けられた娘でありました

元就は“人ばしら”を埋めること自体に反対をし、代わりに【百万一心】と石に掘って埋めよと命令したそうです

そして、【郡山城】がこの資料館の後ろにそびえているのです

正確に言えば“郡山城跡”であり、城の建物は現存しません

郡山を登山することによって当時の面影を味わうのが【郡山城】の楽しみ方となっております

おお!日本100名城のひとつだったのですか!

郡山城歩きは1日かけてゆっくり楽しみたいので

今回は【郡山城】歩きは止めておくことにします

またこの日の旅も“7割ぐらいの満足”で終わりたいですから~

 

20195月に【郡山城】を歩き旅しました

その旅日記はまた、数年後にアップされるでしょうw

 

続きます