広島県庄原市東城町を歩く7~【ヤマモトロックマシン施設群】に学ぶことは多かった~の巻 | あもん ザ・ワールド

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君へと届け 元気玉

放浪日:20111

 

あもんが18歳の頃から一人旅を始めて、もう27年の歳月が経った

27年もの間、一人旅を止めないという事は、“楽しい“という事で

楽しいという事は、“飽きずに見つめ続ける”ことが出来るという事で

27年もの間飽きずに見つめていたのは何かと、考えてみたら

それは、【建物】であった

そう、あもんは【建物フェチ】であったことを改めて思ったのだ

【建物フェチ】がどんなフェチかはそれぞれで感じて頂ければよい

あもんが全国にある【建物】の前で興奮している姿を見て

『こいつ、お馬鹿じゃな~』と思ってくれれば光栄である

 

【ヤマモトロックマシン施設群】を見学しています

建物見学はまだまだ続きます

【仕上工場】です

1937年昭和12年築の木造平屋建ての建物です

屋根裏の木製トラス構造が個性的な形となっています

クィーンポスト”と呼ばれているみたいです

三角形で形成されるトラス構造ですが

クィーンポストには台形が組み込まれています

これにより、小屋裏空間とスパン(骨組みの間隔)が大きくできるという

あもんは単純な性格なので

クィーンのようなビッグママを妄想しましたw

正面に見える二つの窓はアーチ窓の下に2つの上げ下げ窓があるという珍しい形式です

建築学的にも珍しい建物なのですが、それはあくまで建築学的であって

普段使用している方々にとっては、骨組みの形など何も関心がないのが正直な意見でしょうw

それが、建築の面白さであって、“知っている人しか分からないこだわり”を見つけるのが建物フェチとしての面白さでもあります

工場内には小さな線路が敷かれていました

材料などを運搬するトロッコ用ですかね

【第二工場】です

1937年昭和12年築の木造平屋建ての建物です

第一工場完成の3年後に出来たことより当時の会社の繁栄が伺えますね

先ほどの第一工場よりはこじんまりとしていますが、きちんとトラスは主張してます

それにしても、どこも清潔感がある工場内ですね

一般公開されるという意識がモチベーションを上げているのかもしれませんが

清潔感がある工場では品質の良いモノが出来ていると想像してしまいます

建物が古いからこそ磨きがかかり、それが人間でいう皺のように渋さを加えます

そこに清潔感を加えていると、“ダンディなおじいちゃん”というイメージとなりますよねw

案内人が『実はこの建物もコアなファンが多いのですよ~』と言っておられました

【便所棟】です

1939年昭和14年築の木造平屋建ての建物です

これは凄い!寒さ対策の“2重窓”となっている!

壁の中に引き込む扉も珍しいです

当時としては“最新”の設備が投資されたみたいです

それが、“水洗式”です

今ではあたり前田のクラッカーですが、当時では最先端技術なのです

このダジャレを知っている方は、あもんより年上の方ですw

しかも現在でも使用可能!ということで、あもんも使用させて頂きました

今ま何人の人をスッキリささていったのでしょうか?

いつまでも、ご苦労様です!と一番に言いたい建物でしたw

【浸炭工場】です

築年数は聞き忘れました

実はこの工場に秘密の地下通路があり、隣接する社長宅と繋がっていたという秘密基地のような工場です

この工場でおさぼりをするのはご法度でしたw

見学ツアーは事務所屋上へと進みます

事務所屋上から工場を見渡します

80年以上もモノを作り続け、日本の技術力を創り続けた【ヤマモトロックマシン】

『もうそろそろ、お疲れさま~』と言いたいのは山々ですが

『まだまだ頑張ってもらわなきゃ!』と言うのが今の日本の高齢化社会の一般論でしょう

!なんと!工場外にも高齢化を迎えた建物がありました!

築何年かは分かりませんが、昭和という時代を活き抜いた建物でしょう!

団塊の世代を感じる建物です

サービス残業やパワハラ、飲みにケーションを定着させたと非難されることもありますが

彼らは社会的に親世代に余裕がなく、自分たちだけで生き続けなければいけませんでした

その団塊の世代の底力によって日本を世界が認めたのも事実です

あもん達、団塊ジュニア世代はこの建物を見てどう感じるのか?

そして、あもん達の後輩であるゆとり世代はどう感じるのか?

それぞれの世代によって感じ方が違って、違う見解があって良いモノで

それぞれが、ぶつかり合いながら成長していけば良いと思っています

 

ということで、あもんの建物フェチ論はまだまだ続きますw