長崎市を歩く13~長崎での片想いは突然に現れる! ~の巻 | あもん ザ・ワールド

あもん ザ・ワールド

君へと届け 元気玉

放浪日:2017年9月16日

 

長崎に到着してまだ数時間ですが、もう魅力に憑りつかれたあもんですw

理由は分かりませんが、直感でそう思っているのです

さて、町歩きはまだまだ続きます

思案橋を引き返し、鍛冶市通りから寺町通りへと歩いていきます

ん!楠本イネの墓だと!!

思わぬものを見つけてしまいました

全くの予定外だったのですが、行こか戻ろかと迷うことなく寄り道をしますw

幣振坂という有名な坂でもありました

映画『解夏』ってありましたね!さだまさし原作の作品です

美しい坂です

しかし、もう足がかなり疲れてきていますw

ボールを転がしたら、美しく転がっていきそうですw

まだ登るんかい!w

しかし、あもんは若干、イネに惚れてしまったので、がんばります!!

まだ登るんかい!w

長崎歩きは覚悟して挑みましょうw

一帯は墓地となりました

長崎でもお墓参りは覚悟して挑みましょうw

シーボルトは帰国前にお滝とイネに財産を残し、2人の世話を日本の門弟であった二宮敬作や高良斎に頼んだそうです

帰国後も安否を気遣って手紙を送ったりして遣り取りがあったそうです

母国に帰国したシーボルトは、日本の研究成果を国に認められ、爵位が与えられるほど出世をしました

“日本研究家”と自負していたシーボルトは日本に鎖国を止める様に各国に働きかけますが、それが報われることは無かったみたいです

それでも、オランダ国の願い出により国外追放を解かれるようになりました

シーボルトは再び日本を訪れ、お滝やイネ、門弟たちと再会をします

シーボルトが国外追放となったのは33歳の時、再渡来したのは63歳の時でした

イネは2歳の時にシーボルトと別れましたから、この再開の時が初対面みたいなものだったでしょう

どの様な気持ちで再会をしたのでしょうか?

シーボルトはもちろん、母国で結婚をしており、息子を一緒に連れてきています

遂には、その息子を日本で暮らさせようと働きかけます

お滝ももちろん、結婚をしており、イネもシーボルトの門弟“石井宗謙”との子供を連れてきていました

イネは日本の西洋医学のパイオニアである父を畏敬の念まで思っていたみたいで

シーボルトもイネの“女性でありながら医学を学びたい”という願いを受け入れます

しかし、シーボルトは日本で再活躍している最中に、召使いである17歳の女性との間に子供を作りました

イネは危険を感じ、二人の間を離れさせ、新たな召使い女性を雇いますが

シーボルトはその彼女とも男女の関係になるという。。。

シーボルトは約2年間の日本生活を終え帰国し、その5年後に他界されます

イネは父であるシーボルトをどう想い、どう感じ、どの様に親の愛を授かったのでしょうか?

まだ登るんかい!w

あもんが片想いをしているイネになかなか会えませんw

おお!ようやくありましたよ!

イネはシーボルトの高弟石井宗謙よりシーボルトの日本読みした“失本”という名字を貰い、後に宇和島藩主伊達宗城より“楠本”という名字を貰ったそうです

イネは未婚で生涯を遂げましたが、娘である楠本高子を育てています

高子はクォーターでしたが、それもまた美しい容貌だったそうです

後に明治の美人写真を見ていた松本零士氏がメーテルのモデルにしたという噂がありますw

おっと!二宮敬作さんがいた!

二宮さんは日本初の女医(産科医)となったイネを教育したお方です

愛媛県の八幡浜市の生まれで、長崎へ留学中にシーボルトに師事しました

シーボルトの江戸行きに同行し、富士山の高度を日本で初めて計測したと言われています

シーボルト事件で長崎から追放され愛媛で町医者となり、そこでイネと再会します

その後、再び長崎に住み開業医となって、シーボルトと再会を果たしています

ちなみに悪くせは、酒乱であって寄って刃物を抜き家人を追い回すこともあったそうです

イネママのお滝の美しさも長崎では有名だったみたいです

吉村昭著の“ふぉん・しいぼるとの娘”から引用させて頂くと

肌は透きとおるように白く、鼻も唇も繊細で形がととのっている

眼が濡れたように光をおび、妖しい色気がにおい出ていた

とあります

って、まだ上にあったんかい!!

墓石が無いと思ったら、まだ登るみたいですw

 

ようやくありました!

片想いの人に会うという事でドキドキしています

加齢による体力不足もありますがw

 

なんと!二宮敬作が隣で眠っておられるとは!

二宮敬作は先生と称したシーボルトの娘イネを献身的に面倒をみたそうです

長崎に移り住み、他界されるまでイネの面倒をみていたみたいですね

もしかしたら、ちょっぴりイネに惚れていたのかもしれません

ちょっと、ヤキモチをやきましたw

犯罪者となったシーボルトと遊女の間に生まれたイネは

どの様な気持ちで長崎で育ったのでしょうか?

容姿も日本人とは違い、当時は誰もチャレンジしていなかった女医の道をただひたすら歩んでいました

もちろん、偏見や差別は多くあったと思います

幼き頃の父の記憶が回りにより美化され信じて生きてきたのに

年老いた父と再会した時の“やるせなさ”はどんな気持ちだったのでしょうね

それでも、“偉大な医者であった父”を信じて女医を目指すという志は尊敬までしてしまいます

異国情緒が交わるこの長崎でしか生まれない人生を楽しく生き抜いたのでしょうか?

あもんの“イネへの片想い旅”はこの後、他県でも続くことになります

イネとの再会を約束し、お墓を後にしました

若干、足が震えているので、転げ落ちない様に降りましょうw

 

ということで、続きます