大阪池田市を歩く11~阪急グループの創始者の大河ドラマを実現してください!~の巻 | あもん ザ・ワールド

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君へと届け 元気玉

広島人であるあもんが大阪の町を歩いていると

『せやろ?』と時々聞こえる

それを見た、あもんは『せ、せやね…』と思わず言う…

すると大阪の町から『せやねん!これが大阪やねん!』と聞こえてくる

 

放浪日:2017827

 

梅田の街づくりの起点となっている阪急を起業した小林一三さんの【小林一三記念館】を巡っています

東京ゆきの展示がありました

実は、大阪で様々な起業に情熱を捧げていた一三さんは同じ時期に東京でも起業をしていたのです

1934年昭和9年 東京にも宝塚歌劇団の公演拠点を作ろうと【東京宝塚劇場】を造ります

起業には熱い情熱と底から湧き上がるパワーが必要だと思いますが

どんだけのパワーがあったんだろ!と感心しながら見ています

 

 

そして、一三さんは東京で映画産業にも進出しています

それは、日比谷映画劇場開場から始まりました

有楽座も造っていました

一三さんは1937年昭和12年に【東宝】を起業し、映画製作配給と興行を手掛け

『えっつ!そうだったの!』というのが、あもんの正直な感想です

東宝の宣伝にはカルタを使っていました

漢字で“歌留多”って書くんだったのですねw

青山京子とトニー谷の【やんちゃ娘行状記】とか面白そうですねw

正直、俳優さんはよく分かりませんが、【透明人間】は面白そうw

『これが、シネラマだ!』と書かれていますが、何なのでしょう?

調べてみると、3本レンズの専用カメラを使い、3本1組のフィルムで大型画像を撮影する技術だそうです

映写する時は、3台の専用映写機で横長の人型湾曲スクリーンに映し、3つの画面を繋ぎ合わせるみたいです

しかし、つなぎ目が気になるという欠点と共に、映写がめんどうなことと制作に膨大な費用がかかるということで一般には普及しなかったみたいです

なんか、ちょいちょい楽しそうなカルタが混ざっていますねw

やはり、男子にはこの様な楽しさがないとw

おお!八千草薫さんは知っている!

可愛い子は可愛いおばあちゃんになるんですね~

『ぬ』とか、すぐ分かりそうなカルタなんですけどww

予想通りですw

きっと男子なら常に目をつけていて戦っていたはずw

女子からしたら『いつの時代も男ってやつは!』って感じでしょうw

1956年昭和31年 新宿にコマ劇場を開場します

ってか、東京での足跡を見ていると、凄い人だったんですけど!w

凄い起業家というか、日本経済界をも動かしている大先生って感じでしょうか?

先ほどまで偉人とは思いながらも、ちょいちょいツッコんでいたんですけどねw

東急の起業にもこっそり参加していたり!

日本初の電力会社の副社長となっていたり!!

日本軽金属の初代社長も務めておられたり!!!

大阪で様々な起業をしながらですよ!!!!

なんと!政界へも!!商工大臣されているじゃないですか!!

戦後復興院の総裁までも務めていらっしゃる!

もう、日本の歴史人物レベルではありませんか!

もはや、大河ドラマの主役級です!w

2次近衛内閣の写真です

この写真は何度か見たことがあるのですが、この中に小林一三さんがいたのだとう!!

この写真を見ると『あっつ!陸軍大臣の東条英機がいる!』ってことになるのだと思うのですが

小林一三さんがひょっこりいるじゃないですか!!

この内閣では第2次世界大戦の参戦協議が行われてたと思います

一三さんはどんな意見を出し、どんな意見が採用されたのかは分かりませんが

写真を見ると、戦争討論などしそうにないぐらい平和的なお顔立ちで!

でも、“熱い熱い情熱”が表現できないとここまでの事業はできませんから、写真では伺えない激しい気性があったのだと思います

きっと、一三さんの人生そのものがプロジェクトXだと思いますね

ん~是非!大河ドラマで取り扱ってほしいですね!w

ということで続きます