その後のあもん家の人々 | あもん ザ・ワールド

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君へと届け 元気玉

2017年1月1

あもんは小さな山へ登った

 

 

父の葬儀が終わり、数日休んだら、いつものように仕事に通った

気づけばすでに年末で、家でも仕事場でも年末年始でバタバタとしていた

ふっと、一息ついた元旦の日に、あもんは小さな山へ登った

 

思えば、2016年は盆明け以来、一度も旅をしていなかった

仕事のことと父のことで、あもんは一人になることがなかった

一人になりたいと思ったわけではないが、ひとりで小さな山へ登った

新しい年が明けると、なんだか新しいことがしたくなる性格なので

あもんは今年、何をしようかと考えた

 

『そうだ、家族と一緒にいる時間を増やそう』

『父が創ってくれた家族と一緒にいる時間を増やそう』

小さな山の頂上でひとり、そう思った

 

 

仏壇と位牌が家に届き、四十九日法要のときに開眼供養をしてもらった

四十九日が過ぎて、あもん家が落ち着いたころに、あもんはひとつの提案をした

 

『今年のGWは家族旅行しようや!今から宿取っとけば、間に合うけぇ~』

旅をしていなかったのは母も同じであった

母は入院していた父をほぼ毎日お見舞いしていたこともあり

約1年間、旅も出来ず、休む暇もなかったみたいだ

『皆生温泉とかどう?どうせなら2泊して、もうひとつ別の温泉とか入ろうか?』

『境港に水木しげるロードがあるけぇ、アイカとコータもはしゃぐと思うよ。たしか、コナンの記念館もあった気がする』

『母さん、鳥取砂丘の砂の美術館見に行きたいとか行ってなかった?あれ、何年か前行ったけど、凄いよ』

『俺がネットで大部屋がある温泉旅館探して、取っとくわ!』

『母さんと姉ちゃんの誕生日が6月、5月じゃけぇ、一応、誕生日プレゼントということでw』

家族はこのあもんの提案に少し驚いてはいたが、承諾をした

 

結局は2泊3日でアイカとコータとずっと遊ぶというハードな旅となったが

みんなが笑顔でいれたので、計画してよかったと思った

 

仕事が一段落した時、あもんは以前から考えていた我が家の修繕工事を始めた

あもん家は約10年前にあもんが建て変えた家ではあるが

その時、あもんがまだ使えると意見し、トイレと洗面化粧台を再利用した

そのトイレと化粧台を新調することにした

また、あもんの意見で外装を焼杉板にしたのだが、それを塗装しなおす時期でもあった

外装については父も心配していたので、修繕することにした

父の他界によりしょんぼりしていたあもん家を笑顔にする為には丁度良いタイミングだと思ったのだ

みんなでショールームへ行き、トイレと洗面化粧台を見て決めた

総額100万以上掛かってしまったが、あもんは母が笑顔になるなら、良いと思った

支払いをあもんの貯金からしようとした時、母があもんに言った

『実は父さんが姉ちゃんとあんたにと残していたお金があるんよ。振込先が一緒の銀行じゃけぇ、そこから支払っとくわ』

ということで、結局また父に甘える形となってしまった

 

 

 

桜が咲いた頃、父の墓が出来上がった

墓は家の近くの大きな墓苑とした

お寺さんの都合により納骨の日は4月9日だった

死苦?いや、よろ49!ということにしておこうw

納骨の日、民ちゃんが山口からわざわざ来てくれた

付近の桜は満開で、まるで父が笑っているように思えた

あもんはたまに朝起きたらリビングで父の面影を見る

その時は『寂しいんじゃな~』と言ってお墓に会いに行く

 

あもんはこの春から弁当を作るようになった

仕事が落ち着いて時間ができたのが理由である

以前に母に作り方を教えてもらった卵焼きを作ることにした

その他は昨晩の残りや冷凍食品なのでそんなたいした弁当ではない

あもんは母より早く起きる

コーヒーをついでに母の分まで作っておく

卵焼きも卵2個分を焼くので、母が食べればいいと3切れほどテーブルに置いておく

それを休みの日以外に毎日していたら、母があもんに言った

『美味しい卵焼き作れるようになったじゃん!』

美味しいと言われると、嬉しいものである

 

父の遺品整理が始まった

父は無趣味な性格だったので娯楽用品は無く、農業用品と仕事道具が残っていた

服を処分する前に一応、あもんは着られるものがあるかを試してみた

すると、体と靴のサイズが一緒だったらしく、そのほとんどが着ることができた

古く汚れている服を除いてあもんが貰うこととし、あもんは一気に衣装持ちになった

驚いたのが持っていたネクタイの数で、父がスーツを着る機会は殆ど無かったと思うが数え切れないほどのネクタイを持っていたのだ

あもんはそのネクタイをして、出勤をするようになった

 

2017年は母が70歳となる

そこで、姉ちゃんは古希の祝いとして、あもん家をご飯に連れて行ってくれた

店の選定と予約は、なぜかあもんの役目であり

あもんは庭園と豆腐料理が美味しいと評判の豆匠というお店を予約した

姉ちゃんはサプライズで花束を贈っていた

 

あれから、あもん家は家族どうしで、あたりまえに接していた

あたりまえだけど、日々が家族のためにを考えており

家族のために自分が出来ることを無理せず行っている

それは、家族のためにとまさしく必死で生きようとした父の最後の教えだったからであろう

 

 

 

『苦しむことなく生きたい』

それが父の望んだ人生だった

だけど家族から見て父の最後はとても苦しそうに息をしていた

『もう、、、、いいよ、、、、』と誰もが言いたかったであろう

仕事ながらも必死に使命を全うしてくれている看護師さんを見て

『もう、いいですよ』と誰もが言いたかったであろう

だけど、父は必死に息をしていた

あの時、父が必死に息を続けていた理由は

『じぃじ、アイカだよ!』という一言を待っていたからだ

それは父が残した子孫の一言だ

父がその人生を全うして残した命の一言だ

そしてそれが、父がこの世に残した遺産である

息子であるあもんは今、思う

命は繋いでこそ尊い遺産となる

命を繋げることを失ってはいけない

 

父さん、俺は受け継ぐよ

父さんが教えてくれた“生きる”ということを

 

 

あもん家の長い5日間 終わり

 

 

 

 

 

鳥取砂丘ではらくだに乗れますw