あもん家の長い5日間 ⑪ | あもん ザ・ワールド

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君へと届け 元気玉

1212日 夜

『ねぇねぇ、あっくん、ヨッちゃんが来るらしいよ』

安置室にいる時にあもん母に電話がかかってきたらしい

ヨッちゃんは母の弟で、昨日の夕方に父の様子を見に来た

父は夕方は苦しみながらもヨちゃんに会い、話をしたそうだ

『まぁ、これだけは波があるんじゃけん!』とヨッちゃんは思ったらしい

次の日に仕事があったヨッちゃんはしばらくして家に帰った

その時、『呼んだんか?』と父に聞かれた母は

『なんか、休みじゃけぇ、髪切ってついでに来たみたいよ』と答えたらしい

 

安置室に来たヨッちゃんはいつも通りにお気楽にしていたが

着ていた服が作業着だったから、結構急いでいたことは分かった

父とヨッちゃんは親戚の中でも一番つながりが深い

父は東京で仲間と事業を始めた数年後に広島で独立することを決めた

その時にフラフラとしていた、母弟のヨッちゃんを見つけ、一緒に働こうと誘ったみたいだ

ヨッちゃんにとって父は師匠であり仲間であり、年を重ねてからは飲み仲間だった

毎年1月2日に開かれる、あもん家での新年会は二人がフラフラに酔っぱらうまで続けられたものだ

もちろん、今年の1月2日も新年会は開かれている

父の調子がおかしくなったのは一月中旬だったからだ

 

ヨッちゃんはお線香に火をつけ、消した

お線香を指して手を合わせる前に、号泣をした

 

いきなり、号泣をした

何も言わず、号泣をした

 

『年をとったら、涙もろくなるんじゃ』と照れ隠しをしていた

 

 

ヨッちゃんが帰ったので、あもん家も家に帰ることにした

『あっくん、何食べる?』

『ん、お好み焼きでも買って帰ろうや』

そんな会話しか覚えていないぐらい、あもんは疲れていた

 

あもんはサラリーマンなので、今回の出来事は会社に報告する義務があった

夜勤明けで父のもとへ行ったのが日曜日の昼すぎ

父が危篤状態になり始めた時、あもんは来週の仕事を休むようになるのではと予想した

あもんの直属上司は部長であって、今、同じ現場で働いるのは同期のS田であった

彼らには父に余命があることを事前に知らせておいたのだった

1211日の夕方、あもんは部長とS田にメールをした

“休みの日にすみません。親父の容態が悪化しました。今晩が山かもしれないです。迷惑をかけるかもしれません。また連絡します”

“大丈夫です。遠慮せずに甘えてください”と部長

“了解しました”とS田

1212日朝方、あもんは部長にメールをした

“おはようございます。あれからずっと危篤状態が続いています。現場には行けそうにないので、S田のバックアップをお願いします”

“分かりました。安心してください”と部長

続いてS田にメールをした

“おはようございます。あれからずっと危篤状態が続いています。現場には行けそうにないので、とりあえず、今晩の夜勤の中止手続きをお願いします”

“了解しました”とS田

1212日昼過ぎ、あもんは部長にメールをした

“お疲れ様です。親父は最後まで頑張りましたが、他界しました。心配かけてすみませんでした。今後の日程が決まったらメールします”

“ご愁傷さまでした。仕事の事は心配いらないので、最後の親孝行をしてください”と部長

 

部長の優しいお言葉を頂き、あもんは最後の親孝行に没頭できたのであった

 

あもん家に帰ったあもんと母は、とにかく今日はゆっくり寝ようと言い合い

お好み焼きを食べた後は話すことなく自室でゆっくりすることにした

あもんはTVを見ながら少しお酒を飲んで、ゆっくり寝る気であった

TVでは歌番組が流れている

ここであもんは酔ったのか、気が抜けたのか、一気に感情の糸が切れそうであった

“どの歌を聞いても、悲しすぎる”

昨日の出来事が走馬灯のように頭で廻り、あの時こらえていた涙が

どんな歌でも悲しい思い出と当てはまり、ちょっとやばい感じになっていた

 

1212日夜、S田からメールが来た

“夜勤は課長が出てくれるようになったので、心配せずに。病院通いの心労も大変だったと思います。言葉違うかもしれないけど、お疲れ様でした”

 

あもんはこのメールをきっかけに何かが切れたみたいだ

悲しみと感謝で涙が止まらなくなった

先日のアイカ同様に、吐き気がするほど、一人で泣いた

 

あもんはS田にメールを返した

“ありがとう。まずはS田に。そして部長、課長に感謝します。ありがとう”

あもんはこの返信が精一杯だった

 

そしてまた、一人で泣き続けた