父の起床は毎日5時であった
朝起きると味噌汁に火をつけ暖め始める
よく火をつけたのを忘れて沸騰するまで煮えたぎらせていた
ご飯は大盛1杯を必ず食べる
温かいご飯がなくても、『冷や飯の方が好きじゃけぇ』と言っていた
ご飯を食べたらゴミを出しに行く
調子のいい日は近所の大きな公園でウォーキングをしていた
小学校の通学時間になると、近所で最も危険な交差点に立って誘導をしていた
『あっ!じぃじじゃ!』とアイカに毎朝会うのも楽しみのひとつだった
仕事がある日はシルバー人材センターに働きに行く
その多くは草刈だったらしいが、車の乗れる父は草を刈って軽トラに積み、捨て場まで捨てに行く役を買って出ていたらしい
草刈り機を持参したら手当てが付くという事で購入し、何回使ったら元が取れるとか計算をしていた
ある時、草刈中に蜂にさされて、病院へ搬送するほど家族は大騒ぎだった
畑をする所を貸して貰っているということで、車で1時間半掛けて山郷に出かける
当初は趣味程度の野菜つくりであったが、見る見る腕を上げ農家の収穫のようになった
あもん家と姉ちゃん家では形が悪いが美味しい野菜が食卓に並んだ
昼飯も必ず大盛ごはんを1杯食べる
昼寝をして、調子がいい日はまた大きな公園でウォーキングをする
春には公園そばの竹林で食べきれないほどのたけのこを採って帰る
最近は好きだった晩酌は控えており、その代わりにごはんをモリモリと食べる
『もう!食べすぎなんじゃけぇ!』と母に怒られても
『おいしいんじゃけぇ』と言って箸を止めなかった
ご飯を食べたらお風呂に入って、さっさと寝る
仕事を止めてそんな日常を淡々と過ごしていた父にとって
病院で抗がん剤治療をするということはとても大きな仕事だったと思う
日に日に体調が良くなればいいのだが、副作用により以前より悪くなったのだと認識をする
『がんばればよくなるんじゃけぇね~』と励ましてみても返事は無い
カーテンで仕切られた無機質な部屋で味の薄い食事を食べ
普通に便所に行っても目眩がする時がある
きっと父は早く家に帰りたかっただろう
ただただ単純に飯を食って、歩きに行って、飯食って、風呂に入って、寝る
気付けばそれがただただ単純に幸せな暮らしだったのかもしれない
人は日常を難なく暮らせるようになると刺激を求めて旅をするが
父はひとりで趣味をこなすことをしなかった
『昔から仕事しかしてなかったけぇな~』と寂しそうに呟いた時にあもんは
『なんか、遊びを覚えんちゃいや』と言った事があった
3回行われた抗がん剤治療の合間に父は家に帰って普通の暮らしをしていた
あもんは父と母に言った
『テングシデ見に行かん?母さん見に行きたいって言っとたじゃん』
『アイカらも誘って、行ってみようや』
ということで、あもん家は車2台で広島県大朝町のテングシデを見に行った
ここのテングシデは国の天然記念物となっている大木で
真上にまっすぐは伸びずに広く両手を広げるかのように育つのが特徴
あもんが若い頃からずっと見守り続けている木々たちだ
今の時期は青葉がとても美しい
あもんは昔、この大木に出会ったとき、こんな詩を綴った
『天をめざせ そして地に大きな根を』
2006年7月30日 広島県大朝町テングシデを眺めて
数多くの木々たちは、何十年の時をかけて
天をめざして真直ぐに伸びている
向かっている行き先はこの方向だと
いつしか決めて育っている
大朝町のテングシデの木々たちは
どこへ向かおうか迷ってしまって
くねくね曲がったり、しだれてしまったり
誰も行き先を教えてくれないのか?
それとも天をめざすのをあきらめたのか?
だけど、このテングシデを見て
誰がだらけていると言う?誰が負け犬と言う?
むしろ立派ではないか
無限なる天をめざして
可能な限り大きく手を広げ
自分の中にある1%にかけて
より大きくなろうとしている
決めてしまったら決まってしまうから
あえてさまようのもひとつのやり方
ひとつできればふたつできる
ふたつできればみっつできる
自分にできるのはひとつだけではない
たとえみんなと比べてチビだとしても
人さし指だけで天をめざすよりも
両手を広げて天をめざそう
そしてなによりも
両手を支える頑丈な両足を育てよう
そう、地に大きな根を張って
地のあらゆる養分を頂こう
何もない日常を何かある一日して
すれ違う人々に一人でも関心を持って
くだらない知識を明日へのヒントとして
高くなくてもいい広く
そして生きている限り
天をめざせ
大朝町のテングシデの群落が国の天然記念物になったのは
国がこう教えようとしているからかもしれない
テングシデの帰りにどんぐり村と言う大きなレジャー施設でお弁当を食べた
父はその後、その施設内にある温泉に入りに行った
思えばそれが、父が入った最後の温泉であった
続く