萩を歩く1~松陰ファミリー久坂さんはイケメンであって欲しいの巻~ | あもん ザ・ワールド

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君へと届け 元気玉

2015年12月中旬
あもんはひとつの仕事を終えて、新たなる地に旅立った
あもんがたどり着いたのは山口県周南市
ここで2ヶ月弱、夜勤をするのが今回の仕事だ
勤続年数18年で14回目の引っ越しを終え
ホームがもうどこか分からなくなってしまっているが
あもんは常にこう思うようにしている

よし!また旅の拠点が変わったぞ!あっちもこっちも行けるじゃん
会社が働きながら全国を旅して来い!と言っとるんじゃろ
分かった!まかせんさい!!

とポジティブに勘違いしながら山口県を旅してみることにする
2ヶ月弱でどこまで山口県を発見できるだろうか
今回は萩を歩きます


放浪日 2016年 1月31日

山口県萩市
江戸時代に、毛利氏が治める長州藩の本拠地となった城下町として有名である
今や全国的に有名になった幕末長州藩士たち
志半ばで悔しい生涯を遂げた方も多いだろうが、彼らの遂げた仕事は偉大である
彼らの仕事が残したのは“志”で、この志は明治、大正、昭和まで引き継がれた
平成の時代となった今、彼らの偉業は萩市の活性化として十分役立っている
幕末長州藩士の志に魅せられた現代人が訪れ、萩市の観光資源となっているからだ
あもんも若いときからこの志に魅せられた現代人のひとりで
今までに萩市を2度、旅して、多くを感じ考えた
その後、小さいながらも“自分にとっての志”を芽生えさせることが出来たと思う
今回で3回目である萩市歩きで、また新たな志が芽生えるだろうか?
そんな期待を込めつつ、いつもの調子で面白いことをツッコこんでいきたいと思いますw


周南市から山口市の山間部を抜けて萩市に入りました
若干、凍結道があり緊張したので、道の駅で休憩をします








えっつ!!
長州藩士がいる!!!


と、のっけから萩市の洗礼を受けましたw
このおじさん、普通に食事を終える家族を待っておりました
もしかしたら、萩市ではちょんまげが正装なのかもしれませんw

さて、萩市の有名偉人と言えば、皆さんご存知の吉田松陰です
萩市では小学校の道徳の授業で松陰先生の生涯が必修らしいです
ここで吉田松陰のことを「松陰先生」と呼ぶ教育がなされているみたいです

今回の旅は松陰先生の生まれた場所から始めましょう








松陰先生がいましたよ
共をしているのは金子君
黒船に乗り込む前を表現しております




のっぺりとした表情ですが多くの志を内に秘めている目をしています
現代で言えば、突然現れたUFOに乗り込もうという勢いでしょう
とてもぶっ飛んだ行動をしていますよねw










松陰先生と文は萩が見渡せられる小高い丘に生まれたみたいです
沖右に見えるのは笠山でしょうかね
世界一小さい火山として有名です




この文字は山形有朋が書いたものです
この記念碑が建てられる前に他界したようなので
山形有朋の絶筆となっています










ここには松陰先生と愉快な仲間たちのお墓もあります



吉田稔麿です
彼は24歳の若さで京都池田屋にて亡くなりました
彼が明治まで生きていたら、またちょっと違う世の中になっていたかもしれません
あもんが結構好きなタイプの志士です




松陰先生がおられました
お祈りをした後に『ありがとうございました』と告げましたよ





晋作さんもいましたね
彼も29歳の若さで病により他界したとされています
面白きことを追い続けていた志士です
彼の性格なら密かに日本を脱して外国で活躍しているのでは?
という説をあもんは思っていますが、何も立証するものがありませんw
歴史に妄想を加えるのも楽しみ方のひとつですから






杉民治さん
松陰先生の兄貴です
やはり、波乱万丈な人生を進む弟にはしっかりとした理解者が必要なものです
長男として家を守る指名がある中、弟が面白そうに生きているのが羨ましかった時もあるでしょう
しかし、彼が家を受け継いでくれたから松陰物語が語られた訳です
今では一番初めの松陰先生の理解者として大いに自慢しても良いと思います







久坂さんもいるじゃないですか
彼も25歳の若さなのに蛤御門で無念の自決をされました
以前にも書いたけど、彼が昭和初期まで生きていれば
山縣さんがあそこまで苦しい決断を下さなくても良かったかもしれません
また、利麿さんも同じく生きていれば伊藤博文の苦悩は少なかったかもしれませんね


こちらは、立派なお墓であります







おお!松陰先生の先生、玉木先生の墓まであるではないですか!
彼も彼らしく彼の信念で維新を全うした偉人だと思います
先生の最後に実は感動さえ感じました

さて、明治維新を語りだすと長くなるので、松陰神社に行きましょう
あもんはもう、3回目の訪問ですがw








松陰先生の萩維新は未だに続いているようで
最近は文の萩維新も現れているようです




松陰先生、隣の方は誰ですか?



そうですか。松陰先生の萩維新は多くの継承者で続いています



松下村塾です
以前より小奇麗になった気がします














おっと、あもんも松下村塾の塾生になっていますw
山縣さん、かぶさってごめんなさいw






実はこちらの小さいほうの祠に門下生25人が祀られています









松陰先生の幽因の部屋とかもありました
この建物、以前にあったかどうか、記憶にありませんでした




















これは、昭和に流行った記念メダルでは!
現代で需要と供給のバランスは取れているのでしょうか?




先生はせんべいになるほど活躍中ですw



これは、伊勢谷さんと井上さんですよねw
全国区になると誰もがイケメンや美女になるみたいですw




維新トランプとかるたがあるではありませんか!
これは、欲しい気がします!





なるほど、押さえるところを押さえている似顔絵ですね



伊藤さんがくにゅっとなってるじゃないですか!
維新後に最も苦しんだ偉人だけに、この似顔絵かw







楫取さんw
そうだったの?w
斉藤さんの相方っぽいんですけどw
少しだけでも大沢さんの面影を追加してあげて!w







久坂さんがwww
これ、狙ってますよねw
あもん的には東出さんのイメージが浸透していたのですが
NHKの制作努力が凄かったということですね!
でも、久坂さん、どうしてこうなった?w

ということで、このシリーズが面白いので
萩の町で探しながらまだまだ歩くこととします!

続く


『ほいかね』
全てを受け入れる可愛い言葉
『ほいかね』と言い続ければ
争いなど怒らない気がしてきた