東城を歩く 3 | あもん ザ・ワールド

あもん ザ・ワールド

君へと届け 元気玉

広島で生まれ広島で育ち
大人になって広島を旅立った
四十手前で帰広し、改めて眺めた広島
目の前にはドキドキするような広島があった
広島の街が変わったのか?
それとも、俺の見る目が変わったのか?
ひとつだけ変わっていないのは
『ほうじゃね』という広島弁だけだった

広島出身のくせにあまり広島を知らないあもんが
古い記憶と新しい現実を見に歩き続けます
本日は東城を歩きます



放浪日:2015年10月18日

インターネットが世界で一気に普及し
情報というものが世界を飛び回るようになった
その結果、情報の共有が飛び交い誰もが物知りとなった
旅情報の共有も同様に簡単に手に入れることができ
旅人にとってスマートな旅をすることが可能となった
しかし、旅の醍醐味は未知との遭遇である
知って訪れる旅と知らずに出会う旅では後者の方が楽しいのは間違いがない
密かにあもんは今回の旅で東城はプランに入っていなかった
正直、西城のヒバゴンは熱心に調べて望んだ旅であったが
東城については遠い過去に数回行った記憶があもんの情報であった
よって、あもんは今回、東城で未知との遭遇ができたのだ
今回の未知との遭遇とは“ドキドキする建物”である
建物オタクのあもんにとってドキドキする建物に出会えたのは
この上なく楽しい旅となっていくのである

三楽荘
それがあもんを興奮させた建物です









興奮した建物記事の続編です

三楽荘は、明治期に東城の名匠と言われた横山林太郎棟梁と
横山長一(息子)の副棟梁の腕で建てられました






棟梁です

無口で頑固そうですねw
まさにTHE職人という感じ
寡黙で照れ屋で、だけど正しいと思ったことは
何が何でも貫き通すって感じでしょうか
あもんもこの様な男に憧れて育っていっています






副棟梁です

若者らしくモダンを追いかけておられます
やはり離れなどで見られるちょいちょいモダンは彼の仕事でしょう
親父への反骨心でしょうか?
親父と同じことだけをしていたら、いつまでも親父を越えられないと
親父のできないことに挑んでいるっていう感じです
やはり親父と息子はライバルだという関係が良いそうです
あもんにとっても親父はライバルですからw

さて、本館の2階へと上がって行きましょう
本館2階は元々客室だったらしく多くの部屋がありました








廊下は現代風の高級旅館っぽく仕上がっております
天井の柄が特徴的で、目の錯覚により真ん中に下がっているように見えますが
天井はちゃんと水平でありました
現代で営業しても口コミで話題になりそうですよね






客室は六畳一間で広くはないのですが
全ての部屋に床の間があるという豪華仕様
その床の間が全て違う趣があり、ヨダレが垂れそうになりましたw






良いですね
床柱を敢えて質素にすることにより
落とし掛けの存在感を浮き出させております






玄関から続くこの木材意匠
狭い客室だからこそできる遊び心です




原木の美しさを表現しております
まさに世界にひとつだけの贅沢空間






少し広い板の間で共用スペースでしょうか
みんなで晩酌をしていたのかもしれません




おっと!ちょっとびっくりw
このお部屋は展示スペースとなっておりました








東城でも独自の神楽文化がありまして
比婆荒神神楽と言い、国重要無形民俗文化財となっております




出入り口がある壁に意匠柱がありオツであります



雛人形のような展示もありました



これも東城町が大切に保存してきた文化でありまして
母衣(ほろ)と言います




母衣とは本来、戦国時代の戦場において
背後からの矢よけに用いられた武具でありました
鎧の背に五つ幅ほどの布地を長くたなびかせるようにつけた平安末期の武具から
室町時代には内部に籠を入れ、膨らませたものになりました
その後、太平の世となり、我が子の健康と災から守る願いから
「母の衣で包む」という意味合いを持つ装飾品として現在のような姿に変化していきました




この母衣が東城で保存されているのは全国的にも珍しく
“お通し”という祭りで行列によりお披露目されます






これはまた、一風変わった客室





こちらのちゃぶ台も高級骨董のレベルです





床の間と言うべきかどうか迷うところですが
日本人でないと発想のできない芸術だと思います
いえ、普通の日本人ではこの発想はできません
いつの時代に出来たのかは情報がありませんでしたが気になりますね








これは何?と考えた結果、梁だと予想しました
梁は床下に隠すものですが、敢えて意匠的に出して見せるという匠の技
もう現代アートの域に達しています




目立たない玄関でも細かい技を持ってくるという
とにかく天晴れなお部屋でした




1階には資料館のような展示コーナーがあります







東城の歴史を学ぶことができます





昔でも桃鉄があった御様子でw



昔の広告的なものでしょうかね



映画 妻の場合
内容がとても気になりますw




音楽祭まで開かれていたみたい
東城にもホール的な建物があったようです




楽しかった過去ばかりではありませんでした
東城町を巻き込む問題も細かく保存されておりました




ん?
と、ここでハプニング発生!
ここでカメラの電池表示が赤く点ってきました!
まだ町歩きは残っているのに、大問題です!
今日は朝7時から朝日とか撮っていますから
400枚以上写真を撮っています
しょうがないとは思いますが
カメラの電池がなくなる前に
東城の町をもっと歩かなければ!!


ということで続きます






『ほうじゃね!これが広島じゃけんの!』
そう言い続ければ
広島の未来はきっと明るいだろう