セブンの女 18 | あもん ザ・ワールド

あもん ザ・ワールド

君へと届け 元気玉

この物語は『半フィクション』です
どれが現実でどこが妄想なのかは
読み手であるあなたが決めてください
この物語は1995年から1996年の
あもんの記憶の中の情報です
現在の情報とは相違がありますので
ご理解ご了承お願いします


“あけまして、おめでとうございます”
1995年が明けたその時あもんはスミ子の家で挨拶をした
あもんは大学に入学してから数度しか実家には帰ってはいなかった
“自分とは何?”という問題を解く為に一人暮らしを始めた
バイクで1時間半あれば帰られる近い距離ではあったが
あもんは広島にバイクを向けなかった
何故なら“自分探し”が終わっていなかったからだ
親に教えて貰いたくない
旧友にも教えて貰いたくない
自ら孤独となる環境で生活し
自らの力を確かめてみたい
そんな意志を持ち一人暮らしをしていたのだが
気付けばあもんはスミ子家に頻繁に出入りをしていた
やはり家族という暖かさは心地よかったのだろう



『もう、あと5年しかないんよ~あっくん、どうしよ~ノストラダムスの予言当たったらどうしよ~』
スミ子家の次女が新年早々真剣なまなざしで相談してきた
『そんなん、ないけん!でも、21世紀って想像がつかんね~ドラえもんってその頃出来ているかな~』
あもんは冗談交じりに次女に答えた
『もう!ウチは真剣なんよ!でも、どこでもドアが欲しいな~』
次女は怒ってるのか楽しんでいるのかよく分からなかった
『おう、あもん!携帯買ったで!やっぱりベルよりは便利じゃの~』
シンジさんは親子電話の子機のような大きさの携帯を見せながら得意気であった
『おお~それが携帯ですか!子機とは違うんですよね~』
『違うわい!どこでも電話ができるんじゃ』
『自動車電話より便利じゃし、それに今は新規加入料が9000円になったけんの』
『でも、どこでも電話ができるって、どこにいるかスグばれるんじゃないですか?』
『そう言えばそうじゃの~やばいかもしれんの~』
『じゃけど、携帯が繋がらんとこも多いけん、大丈夫じゃ~』

シンジさんの言うバレたらやばいは何処だろう?と思ったけど
あもんは聞くことができなかった…



『さぁさぁ 初詣行くよ~みんな用意しんちゃい』
片付けを終わらせたスミ子がみんなに言った
スミ子はスミ子家の末っ子ではあったがまるでこの家を仕切っている家主のようであった
あもん達はスミ子の運転する車で初詣に行った
『ぶち、寒いね~あっツーリングしてる!』
次女が正月ツーリングをしている集団を見つけた
『あっくんも、ツーリングするんよね。やっぱり冬でもするん?』
『うん。瀬戸内際は道路が凍結せんけん、年中ツーリングできるんよ』
『寒いのに…なんで寒いのに寒い思いするん?』

外に出るのが苦手な次女はお菓子を食べながらあもんに聞いた
あもんと正反対な趣味を持つ次女はあもんの心情が分かりづらいらしい
『えっ!なんでかか…よう分からんけど…楽しいからじゃないかな』
『いやいや違う!ワシがツーリングをするのは』
『そこに道があるからじゃ!!』
『あははははは!よう分からん!』

全身がふくよかな次女はお菓子を食べながらあもんを笑った


あもんのツーリングライフは春夏秋冬問わず展開して行った
春夏秋冬を肌身で味わうことができるのも
ツーリングの醍醐味のひとつでもあった


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ある早朝の出来事であった
『おぉぉぉぉおお!』
とあもんはベットから飛び起きた
『揺れとる!』
あもんは生まれて始めて地震によって目が覚めたのだ
あもんの寝ていたボロアパートはかなりの揺れを感じたが
その後はおさまったのであもんは眠りに就いた
その朝は福山では震度4の地震を観測していた
朝6時半ごろ、あもんは自然と目が覚めテレビをつけた
NHK大阪放送局からニュースが流れていた
あもんが目覚めたその時大阪でも地震があったらしい
大阪では震度4で地震による混乱は無いと言っていた
ただ、近畿の高速道路は全面通行止めになっているのと
JR新大阪駅で一部停電になって新幹線が運転見合わせになっているのだと言っていた
『へぇ~大阪でも揺れたんや』
あもんはその時その程度しか思わなかった


朝9時ごろ、あもんは再びNHKニュースにチャンネルを合わせた
すると先ほどの地震の速報が流れていた
神戸で大きな被害が出ています
高層の住宅が倒れけが人が出ています
神戸市内数か所から火が出ています
明石市市内この地震による死者3人
芦屋市市内この地震による死者1人生き埋め約200人
神戸市市内この地震による死者数十人行方不明者数百人
『へぇ~けっこう大事なんじゃな~』
とあもんは思って大学へ向かった


夕方になってあもんは再びNHKニュースを見てみた
『なんじゃこりゃ~』
あもんんはそこから流れていた映像に驚きを隠せなかった
上空映像からは黒煙に包まれている神戸市内
倒れた高速道路に脱線した電車
倒壊し焼け尽きた木造家屋
それはまるで小学生の頃に見た広島の原爆被災後の映像のようだった
『被災者は数千人と予測できます』とアナウンサーは言っていた
あもんはこの時初めて事の重大さに気付いたのだった


あもんはバイト先であるキグナス石油に向った
キグナス石油は国道2号線沿いにあった
神戸に繋がっている国道2号線はこの遠い福山でも渋滞となっていた
あるお得意さんがポリ缶に灯油を大量に買い
『知り合いが大変なことになっとるんじゃ』
そう言って神戸に向って行った
この国道2号線の渋滞は数日間続いた
あもんは福山大学建築学部で学んでいた為
教わっていたのは建築の教授ばかりであった
この日から教授の多くは被災地視察の為
神戸に向い暫く休講が続いた


ある時、アンチさんがあもんに言った
『あもん!神戸へボランティアに行かんか?』
『今、神戸は大変なことになっとる!』
『車では渋滞するけん、今はバイクが移動手段としては有効らしいで』
『じゃけん、ライダーボランティアが全国から神戸に集まっとるらしい』

姫路出身のアンチさんはこの地震後すぐに実家に連絡して無事を確認した
あもんもR2の先輩である姫路にいるヒメノさんに連絡し無事を確認した
アンチさんは関西圏での大惨事にいてもいたってもいられない状態だった
自分もなんとか役に立ちたいという意志が強く出ていたのだ
これを聞いたあもんは正直あまり気が乗らなかった
『僕らはあんまり動かん方がいいんじゃないんかな~』
とあもんは言った
行った事も無い地でもあったし、行って何になるのか?という思いがあった
そして何よりあもんは単位が取れないかもしれないという状態にもあり
今は学校を休むことはできなかったのだ
それを聞いたアンチさんは他の同志を集め神戸へ向かった


一週間後アンチさんが帰ってきてあもんに報告をした
『あもんの言った通りだったかもしれん』
『ワシらみたいのが多く集まっても何をどうするかという指示が少ないけん』
『結局、何もせんで帰って来たようなもんじゃ』

アンチさんの話では震災により全国から多くの人や物資が神戸に運ばれていた
しかしそれが為に道路は終日渋滞し、結果神戸は人とゴミに溢れていった
せっかく集まったボランティアに対しても有効に利用する指示者がいなかった
カップラーメンは多くあるが水と電気がないから誰も食べることはできず
賞味期限が切れたおにぎりが多く余っていた
それを狙った全国の浮浪者がまた神戸に集い始めたり
興味本位で記念撮影をする若者が地元民に殴られていたりと
そこにあったのはただただ混乱した人間の集まりであったらしい


震災地視察を終えた大学の教授は講義でそのことを報告し始めた
建築構造の教授は流行っていたピロティ構造の弱さと手抜き工事の実態があったと言っていた
建築計画の教授は震災に弱く古い都市計画であった神戸だったからあのような大惨事になったと言い
加えてこの地震でこの街は震災に強い都市計画が実行できると言っていた






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1995年1月17日 午前5時45分
阪神大震災
被災者6300人 避難生活を強いられた人30万人 家屋損壊19万戸
この日本史に刻まれる大惨事の時
あもんは被災者ではなく傍観者であった
運がよかったのか悪かったのか分からないが
身近に起きたことを遠のけてその後を暮し始めた
そして14年経った2009年にあもんはようやく神戸に着いた
そこで感じたことは
『人間は卒業と入学を繰り返し生きている』ということだった


その時の記事です↧

あもんの宅急便


続く