はだしの恋人 | あもん ザ・ワールド

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君へと届け 元気玉

日本人は妄想民族である

ありえないことをあれこれ想像し

想像することに趣を感じる民族である

 

この論理は島国日本の地理的状況から判断できる

四方を海に囲まれた日本は

国境線がはっきり見えない国でもあり

古くから船で来日してくる異人に

夢と恐怖を抱くようになった

文化も言語も違う異人に出会った日本人は

「この海の先には何があるのだろう」と妄想した

今の僕たちが妄想する

「宇宙の先には何があるのだろう」という感情と似ている

そして日本人は古くから妄想を繰り返し

攘夷精神や軍国精神を創り上げていった

 

趣きに関しても同様のことが言える

日本文化の象徴として称えられている

「侘び」「寂び」文化に趣を感じている日本人は

侘しいや寂しいということばを表現して建物を作ってきた

それは楽しいや嬉しいといった楽天的な感情ではなかった

それでは何故そこに趣を感じているかというと

侘びの先にある心強さを妄想するためであり

寂びの先にある満悦さを妄想するためである

満たされたものがそこにあっては妄想できないからだ

 

日本語にもそれが現れている

平仮名、漢字、片仮名と大きく3種類ある日本語には

読みと意味とリズムがそれぞれに存在し

平仮名と漢字にはそれぞれに多数の意味を持っている

これは答えはひとつではないということを意味し

感じ方や妄想の仕方には決まりがないということを言っている

その上、古語や隠語そして方言など

その時代や土地によってもことばを分けるということは

妄想の数を無限にまで導いている

現代語や流行語によってどんどん日本語が増えていくのは

日本が個人主張を起こし易い国になっているからである

 

名声の高い日本ドラマや邦画では

洋画のような激しいアクションで戦うよりか

裏の裏のそのまた裏を描いている戦いが繰り広げられ

洋画のようなハッピーエンドで終わるよりか

良かったのか悪かったのかを考えさせる結末で終わる

極端な異次元的世界の物語では物足りず

ちょっと不思議な物語が妄想を膨らませることができる

そして全ての結末は各個人の妄想の上で終結する

本屋に行くとノンフィクションノベルズよりか

私小説のほうが圧倒的に多いのには納得する事実だ

 

最近のオタクブームにより益々それが実証されている

一個人の妄想により街が作られ文化も生んでしまい

腐女子という見た目では褒めことばではないことばを

自称する女子も出てきた

引きこもりが物語の主人公になったり

TVヒーロに変身する時代になった

TVゲームや漫画は子供たちだけではなく

大人たちも大人買いするまでに発展していった

そして顔の見えないネットの世界に

妄想意識が成長していき

妄想民族は表現することを覚えた

それは個人ブログの登録者数に反映されている

 

この妄想により日本を創ってきた日本人にとって

妄想は誇るべき才能だと感じている

妄想したものを創り上げる

その才能は無限なる可能性に挑戦する力を生むからだ

そんな妄想民族日本人は偉大だと思うし

僕は好きだ

 

 

 

そしてこの論理は

あもんの妄想である

 

自称妄想民族の末裔であるあもんは

旅先でもよく妄想をする

白砂の道がある竹富島で

あもんはそれを詩に綴った

☆ 

『島国からの贈物』

『はだしの恋人』

 

200555日 沖縄県竹富島 白砂の道上にて

 

朝の白砂の道を歩くのは気持ちいい

 

あえてはだしで歩いてわたしを残している

 

5本指までくっきり残っていて

 

わたしって、けっこうガニマタ?

 

えりちゃん家の石垣の上からぼうず頭が動いている

 

けんじ君なのかな?

 

わたしは立ち止まって石垣の角を見つめた

 

角から現れたまんまるの顔はけんじ君

 

『おはよう』って言いかけたけど

 

わたしに気付いたけんじ君は目をそらして

 

今日も走って行っちゃった

 

けんじ君の5本指がくっきり

 

けんじ君ってけっこうウチマタ?

 

明日の朝こそ『おはよう』と言おう

 

詩集 『島国の宝物』より

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ついに たどり着きました

 

 

 

 

 

日本最南端の島 『波照間島』

 

 

 

 

 

この島でこの旅は終わります

 

 

 

 

 

次回更新 『海にいきました』