あもんは熱しやすく冷めにくいタイプである
あることにハマってしまったらトコトン突っ走るタイプで
寅年のクセに猪突猛進してしまう危険性がある
ひとり旅に学生時代に出会い
今も旅をしているからまだ冷めていないのだろう
一度退職を願ったあもんは大阪へ移動になった
大阪の仕事が終わったら今度は山口に移動になった
大阪から帰ったあもんは
「建築」というものにハマっていた
山口での現場は少ない人数(2人)に与えられた
違う会社の人と僕の二人だった
13階建て59戸の分譲マンションの現場だ
工期は1年3ヶ月
休みのない日が続いた
毎日0時を越えて帰っていた
猪突猛進あもんは一級建築士の勉強のため
塾にも通い始める
自宅に帰っても勉強の日々が続いた
寝る以外は「建築」で覆われていた毎日
緊張と使命に支配されていたあもんがいた
そしてバイクを乗るのを忘れてしまっていた
詩を綴ることさえも忘れてしまっていた
そんな日々が一年続いた時
あもんは倒れた
倒れそうになるぐらいのめまいが襲ってきたのだ
病院で診察を受けると
「白血球の異常増加」が見られた
通常の3倍ぐらいの数値だったらしい
抗生物質の点滴を生まれて初めて打った
しかしあもんはまだ猪突猛進する
朝一に病院に行きそれから現場で仕事をした
多種の抗生物質を打っても白血球の減少は見られなかった
「あもんさん あなたは病人なんですよ! 分かってますか!!」
仕事を続けるあもんに先生は怒った
そんな生活を1週間続けたとき
ようやく白血球は減少していった
気づくと一級建築士の試験には落ちていて
現場の工期も遅れていた
そんな現場も終わり次は広島へ
そして同じような環境の現場に配置になった
これから僕のリハビリが始まった
乗らなかったバイクを買い替え
デジタルカメラを購入し
日曜日だけは必ず休むことを決め事にした
少しずつ詩もつづり始め
限られた時間を自分で創ることを覚えた
そして一年後
八重山諸島に旅立った
石垣島にたどり着いて最初の宿は
離島桟橋が目の前の宿だった
この桟橋からは多くの人が離島へ旅立っていた
そして多くの風が吹いていた
今思えばこの八重山の旅が
あもんの自分改革の始まりだったと思う
「島国の宝物」ということばが生まれたのも
この離島桟橋だったと思う
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『島国からの贈物』
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『この風』
2005年5月4日沖縄県石垣島 離島行きフェリー桟橋にて
初夏の風が心地好く通るこの宿は
離島行きフェリーが集まる処にある
希望と別れが入り混じったこの風を味わいながら
育っていった大人達がいて
育っていく孫たちがいる
いとこの娘の友達みたいな子供たちも
予約電話だけでやってきた旅人たちも
さまざまな風の受け止め方で
さまざまな感じ方をしている
いつからこの風は吹いているのだろう
きっと
台風で苦しい時があったとしても
涙流れる別れがあったとしても
『おかえり』という笑顔によって
『そんなことどうでもいい』と感じながら
楽しむことだけを伝えているのでは
詩集 『島国の宝物』より








