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Googlから画像をお借りしました

「翡翠」✨不安感を根こそぎ取り除く、凄いパワー✨

今日は、子供が学校に行けなくなった時の親御さんが、絶対に口にしてはいけない「禁句」のお話。

子供は色んな理由で学校に行けなくなったり、行きたく無くなったりします。いじめに遭っていたり、勉強が付いて行けなかったり、体調が悪かったり等。これは私も驚きましたが、子供さんのご相談の中に、給食が時間内に食べられないので、担任が生徒と共に「頑張れ、頑張れ」と応援する事が返ってプレッシャーになり、学校に行けなくなった事例もあります。

大人が良かれと思う事も、子供がそれを望んでいなければ、迷惑でしかないのだと気づきました。

特にいじめで学校に行けなくなってしまった子供に、親が言っては行けない禁句があります。

それは「逃げるな」。子供は子供なりのプライドがあり「逃げる」=「弱虫」と言う意識が強く、心にわだかまりを残します。反対に「逃げて良いよ」も同じ意味に捉えてしまいます。

更に「戦え」「負けるな」も禁句です。もう既に学校に行けなくなる位に戦って来たし、学校に行けなくなる事は「負けた事」では更々ありませんね。

親も「逃げる逃げない」「負ける負けない」の意識は捨てる事が大切。

もし凄い大津波が来て命が危ない時は「避難」しますよね。いじめも同じ、暴行、脅迫ですから、「逃げる」のでは無く、避難です。

私は子供が、殺人鬼の居る学校に命がけで行く理由なんてどこにあるのか?と思っています。

学校に行かなくなっても、まず家で心を落ち着かせる事が必要ですね。この時親は腫れ物に触らない。色々聞き出そうとしない。ましていじめている相手の家に乗り込まない事です。まずは子供が自分の辛さを話しだして、恐怖感を和らげる事が先決です。

その時の親御さんは、子供の気持ちに寄り添い、少しの間は目を離さないで下さい。「恐怖感」が去ると少し冷静になりますが、今度は「孤独感」が波の様に襲って来るからです。

「恐怖感」→「孤独感」→「自己嫌悪」→「虚脱感」

この「孤独感」が襲って来た後は、凄いスピードで「自己嫌悪」になります。

優しく真面目で、責任感が強い子ほど「親に迷惑をかけた」「自分は駄目な人間だ」と思い込む。やがて「自暴自棄」になり、虚脱感が襲かかり自傷行為や自死を選んでしまったりします。

「恐怖」から避難した時点で「虚無感」に至らないようにサポートが必要です。

「逃げるな」「負けるな」より、まず最初にしなければならない事は、「大丈夫。なにが有っても、お母さん(お父さん)が守るから。必ず側に居るから」と抱きしめて深い孤独感から子供を守らないといけないです。

私の母は、私が学校でなにか不都合を起こす事を嫌いました。友達に意地悪をされて泣いていても、心の底から困っていても「お前の根性が悪いから、嫌われる。なんでもかんでも嫌な事から逃げる卑怯者。自分で考えろ」と罵られました。その時の私はまるで貝殻を持っていない「やどかり」。危険が迫っても、安全地帯が全くない場所に、独り放り出されどうして良いか判らず、おろおろして不安で生きる事を辛いと思わざるを得ませんでした。

その経験から私は子供が学校で辛い思いをしたり、理不尽な思いをしたら「お母さんが絶対守る。大丈夫。心配ない」と笑顔で言い続けてきました。

そして「お母さんが居ない時は、自分の命を自分で守れ。危険な時は避難しろ」ただそれだけを言って聞かせてきました。

次男がいつも言います🤣「お母さんは、僕らを守る為なら、山姥になったね😂」

はい。私は子供を守る為に、山姥を超えるものに、度々化けました😂

子供を貝のないやどかりにしてはいけません。

「心の安全地帯はお母さん、お父さん」です。




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「翡翠」✨不安感を根こそぎ取り除く、凄いパワー✨
今日は、子供が学校に行けなくなった時の親御さんが、絶対に口にしてはいけない「禁句」のお話。
子供は色んな理由で学校に行けなくなったり、行きたく無くなったりします。いじめに遭っていたり、勉強が付いて行けなかったり、体調が悪かったり等。これは私も驚きましたが、子供さんのご相談の中に、給食が時間内に食べられないので、担任が生徒と共に「頑張れ、頑張れ」と応援する事が返ってプレッシャーになり、学校に行けなくなった事例もあります。
大人が良かれと思う事も、子供がそれを望んでいなければ、迷惑でしかないのだと気づきました。

特にいじめで学校に行けなくなってしまった子供に、親が言っては行けない禁句があります。
それは「逃げるな」。子供は子供なりのプライドがあり「逃げる」=「弱虫」と言う意識が強く、心にわだかまりを残します。反対に「逃げて良いよ」も同じ意味に捉えてしまいます。
更に「戦え」「負けるな」も禁句です。もう既に学校に行けなくなる位に戦って来たし、学校に行けなくなる事は「負けた事」では更々ありませんね。

親も「逃げる逃げない」「負ける負けない」の意識は捨てる事が大切。
もし凄い大津波が来て命が危ない時は「避難」しますよね。いじめも同じ、暴行、脅迫ですから、「逃げる」のでは無く、避難です。
私は子供が、殺人鬼の居る学校に命がけで行く理由なんてどこにあるのか?と思っています。
学校に行かなくなっても、まず家で心を落ち着かせる事が必要ですね。この時親は腫れ物に触らない。色々聞き出そうとしない。ましていじめている相手の家に乗り込まない事です。まずは子供が自分の辛さを話しだして、恐怖感を和らげる事が先決です。

その時の親御さんは、子供の気持ちに寄り添い、少しの間は目を離さないで下さい。「恐怖感」が去ると少し冷静になりますが、今度は「孤独感」が波の様に襲って来るからです。
「恐怖感」→「孤独感」→「自己嫌悪」→「虚脱感」
この「孤独感」が襲って来た後は、凄いスピードで「自己嫌悪」になります。
優しく真面目で、責任感が強い子ほど「親に迷惑をかけた」「自分は駄目な人間だ」と思い込む。やがて「自暴自棄」になり、虚脱感が襲かかり自傷行為や自死を選んでしまったりします。

「恐怖」から避難した時点で「虚無感」に至らないようにサポートが必要です。
「逃げるな」「負けるな」より、まず最初にしなければならない事は、「大丈夫。なにが有っても、お母さん(お父さん)が守るから。必ず側に居るから」と抱きしめて深い孤独感から子供を守らないといけないです。

私の母は、私が学校でなにか不都合を起こす事を嫌いました。友達に意地悪をされて泣いていても、心の底から困っていても「お前の根性が悪いから、嫌われる。なんでもかんでも嫌な事から逃げる卑怯者。自分で考えろ」と罵られました。その時の私はまるで貝殻を持っていない「やどかり」。危険が迫っても、安全地帯が全くない場所に、独り放り出されどうして良いか判らず、おろおろして不安で生きる事を辛いと思わざるを得ませんでした。
その経験から私は子供が学校で辛い思いをしたり、理不尽な思いをしたら「お母さんが絶対守る。大丈夫。心配ない」と笑顔で言い続けてきました。
そして「お母さんが居ない時は、自分の命を自分で守れ。危険な時は避難しろ」ただそれだけを言って聞かせてきました。
次男がいつも言います🤣「お母さんは、僕らを守る為なら、山姥になったね😂」
はい。私は子供を守る為に、山姥を超えるものに、度々化けました😂
子供を貝のないやどかりにしてはいけません。
「心の安全地帯はお母さん、お父さん」です。
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報道で、いじめにより自殺をした子供さんの親御さんの会見を拝見しました。
残念です。子供さんが亡くなってから3年も待って、この結果では、ご家族様や御本人も無念です。心からご冥福を祈らせて頂きたいです。

『子供に地獄を見せなさい』
日本は「いじめられる子供を無くそう」と言う、活動は盛んで、色んな機関も用意されています。ところが、いじめは一向に無くならず、不幸な結末を迎えてしまう。
そもそも「いじめられる子供」は、なぜ存在するのか?「いじめる子供」が居るに他ならないのです。
現在のいじめの状況を見ても、いじめが無くなるどころか、段々陰湿で底意地が悪く、執拗に凶暴且つ惨忍で、標的を死に追いやる。
まるで悪魔の申し子のよう。
平等に可愛い赤ちゃんで生まれて来た子供が、なぜ幼い年齢なのに「悪魔の申し子」に成り下るのか?
それは育った環境に答えがあります。人間の性格が形成される影響は、持って生まれたもの20%に対し、育つ環境が80%だと私は思います。
ですから、親の「子育て」に、なんらかの誤りがあるのです。
以前のブログで、3.6.9歳までが、理性が逞しく身につくチャンスの年齢とお話ししました😊
3歳までに忍耐力

6歳までに判断力

9歳までに洞察力(想像力を含む)

これは「許す」と言う広い心の基礎(土台)に立つ3本の主軸(柱)です。この基礎と3本の主軸(柱)の上に築き上げる人格は、途轍もなく豊かで逞しいと言えます。

いじめは「恥ずかしい事」「卑怯な事」「悪の根源」だと言う事の理解が身に着くのは、9歳までの環境です。恐らくそれを過ぎてしまうと、

手遅れかも知れません。最終的にいじめをする子は、時が経ち親が老いた時に、親をいじめます。

子供の時には9歳までに「地獄」を見せないと、やがて子供も自分も本物の「生き地獄」を見る事になります。

では「子供に地獄を見せる」とは、どう言う意味なのか?

子供は、9歳までに逞しく想像力が発達します。

他人をいじめたら「恐ろしい地獄に落ちる」

盗みをしたら「恐ろしい地獄に落ちる」

殺人をしたら「恐ろしい地獄に落ちる」と言い聞かせ、地獄がどれだけ恐ろしいものかを、話し聞かせ想像させるのです。子供は、不思議と怖い話が好きですね。これは「怖くても見て知り、学ばなければなければならない」と言う本能なんです。子供の頃に疑似体験で叩き込まれた「恐怖」は、大人になっても強く記憶していて、

他人をいじめよう、盗もう、殺そうと思った瞬間、幼い時に想像で見た「地獄」が見えて来て、強く「理性」のブレーキが掛かります。結果、浅はかな真似をしない子になります。残念ながら、学校は既に「道徳を身に着ける」役割を果たさなくなりました。教師がいじめに加担する世の中ですからね。家庭環境が勝負の場です。

私は子供に「勉強しなさい」と言った記憶は、ほぼありません。でも乳児の時から、9歳までに、

やって良い事と、悪い事の区別がつく事。

自分の命と他人の命はこの世で最も大切で有る事。

差別はおしりを出して歩くより恥ずかしい事。

この世は「因果応報」で有る事。

困った人に当たり前に手を貸せる事

そして「いじめたら」「盗んだら」「殺したら」

落ちる地獄をリアルに想像させる話を嫌と言う程聞かせてきました。

ですから、長男も次男も逞しく「理性」が働きます。長男は発達に障がいがありますが、関係なく他人をいじめたりしません。

昨今は「自分正しい」と言う「正義感」の強い子が増えました。親はこれを正しいと思いますがこれは実は厄介なんです。

何故かと言うと「理性」と「正義感」は別物だからです。

「理性」→自分を制する(コントロールする)力。

「正義感」→正しさを他人に押し付ける餓。

全く違いますよね。

やりたい事をやらせて、自分一番で自由に育ったけれど「地獄」を疑似体験していない子は、理性の力がありません。ですから自分の正義感だけで他人に「正しさ」を押し付けて、自分の正しさにそぐわない他人を決して認めず、排除しようとする。

これがいじめの始まりです。

理性の働く子はたとえ相手が嫌いであっても、普通に接したり、関わりを持たない様にする知恵が働く。

ところが正義感だけの子は、嫌いな子を排除しようとするのです。

ですから「理性」の働く子は「人間関係」で、無闇に問題が起きませんが、正義感だけのこは、あちこちで、人間関係に摩擦が起きます。

ただ体だけが大きい「肉の塊」と、理性の働く「人間」とは、全く違う。

自分の子供を凶暴な肉の塊にしない為に、

「子供には地獄を見せなさい」