先日のブログにお知らせしました「問題があった家族、元家族こそ、その死後に供養が要る理由」
のお話をします。
私の母は「毒親代表」みたいな母でした🤣
私に対して「支配」「過干渉」「洗脳」「命令」「暴力」「暴言」→「無関心」「放置ネグレクト」→母が要介護状態になってからは私への「執着」「強依存」そして母の晩年は「無感謝」自分は絶対に悪くないと言う「強他責感」→最後は他人への怒りや怨みが流せず「死」を迎えました。
詳しい母の事はブログで何度もお話ししましたので、省略します🙏
私のブログをご覧下さった方からよく「あんじゅさん、お母さんが憎いでしょ?」「許せないでしょ?」「恨み、辛みがあるでしょうね」と言われます😊
遠い昔は有ったかも知れませんが、今は全てありません✨昔の事を思い出したら「ほんま糞ババーやった」と思って笑うくらいです🤣
私は「母と同レベルの人間」もしくわ「それ以下の人間」に成り下がりたくないと言う気持ちが強く「自分は虐待の連鎖に絶対に負けない」と生きてきました。
ですから私が母を許しても許さなくても、恨んでも、恨まなくても、過去に流しても、流さなくても、一切子供には母が私に行った「虐待」はしませんでした。そして自分が受けた虐待を理由に「自分は虐待児だから心が歪んでいても仕方ない」とか「虐待の連鎖で自分の子供にも虐待するのは仕方なく許される」と自分を正当化する言い訳をするものかと誓い、親がどうであれ私は私の人生を素晴らしいものにして行く。そして子を愛し守り抜くと決めて生きてきました。
ただ、自己肯定感だけはかなり低く、これを克服したのは42歳くらいだったか?と思います。長かったと感じます。
母は無知過ぎて「人間死んだら終わり」と言う考えが強い人でしたが、自分の死後13回忌と17回忌の時に現れて、私に「年忌をして欲しい」と懇願し、生前私にした事を仕切りに詫びて来たのです。
もちろん、私は母の死後の供養は欠かした事はありませんが母の13回忌の時の姿より17回忌の姿の方が穏やかだった事から人は死後、家族の供養と年忌をして差し上げる事で安らかに成仏して行く事に気づきました。
数々の経験から私は「問題が有った家族、元家族の死後は絶対的に魂の救済の為の供養が必要である」と確信したのです。
なぜ魂の救済が必要なのか?今日の本題にはいりますが少し難しいので「あんじゅさんの不思議話」として聞いてください。
母は恐らく過去世、虐待を受けていたのだと思います。その虐待に私の過去世が強く関わっていたのは間違いないと思います。母と私のこの悪縁は、気の遠くなるような時空を超え、カルマ(業)としてこの時代にまた母娘として縁に触れて、今度は立場が反対になって現れたのだと思います。長い時空を輪廻したと言うのに母も私も魂の救済(先祖供養)をして来なかったから、何度も何度も入れ替わり立ち替わり、生まれ変わっても同じ虐待と言う形になって現わし続けてしまった。
そして今世こそ魂の救済の「気づき」を求められたのだと思います。
「気づき」と言うのは魂の救済(先祖供養)をしなければ、先祖代々の血脈に残る全ての悪縁(カルマ)は断ち切れないと言うことに気づかなければならないと言う事です。
この世の母は魂の記憶に隠された私への憎しみに突き動かされるかの如く自分が産んだ子に幼い時から虐待を加えました。
でも恐らく私は代々続いて来た虐待の悪縁を、今世にかけて救済するべく、目の眩むほど続いて来た先祖代々の虐待の連鎖を、未来永劫にして、断ち切る大きな役目を担い、今世に生まれてきた。
私の大きな役目。それは未来に二度と虐待をする血脈を出さない為に、母の魂を救済する事。
これに気づいたのです。
ですから私が母の供養をするのは「許す」とか、「恨みを捨てる」とか「流す」等そんな小さな感情ではありません。先祖代々の過去の悪縁のカルマを私の代で「切る」未来にそのような愚かな子孫を一人たりとも出さない「執念」の供養です😃✨
母が亡くなり25年、とても穏やかな優しい顔で、私の前に現れる事があります。
私が自分の産んだ子を愛し、慈しんで育てている姿を見て自分のカルマも消したんだろうと思います。
問題が有った家族、元家族の死後、絶対的に魂の救済の供養が要りますよと言う理由がお解りになると思います。
私は自分が「母を許せますように」と祈った事はありません。
恐らく許せないだろうと思っていたからです。
でも母の魂の救済の為に「今度生まれ変わったら、二度と私の前に現れないで、夫を愛し、産んだ子を愛し、家族に愛されて、死ぬ前に幸せだったと言える人生でり、もう憎しみや怨みの無い西方浄土の光の中にお入りください」
と毎日祈り続けています。
問題が有った家族、元家族の死後に、
「魂の救済の先祖供養」をする事は、
最終的に「未来永劫の自分の幸せ」なのだと
私は今、強く思っています。
