一難去ってまた一難💦
今度は掛かっている整形外科の医者のやぶぶり😅
最初に診察に行った時から、パソコンばかり見て、人の顔を見ない。手が痺れると言ったのに、診断書に打撲と書かれてあったので呆れました。
「月は11月1日の診察です」と掃いて捨てるように言ったのですが、肋骨が痛かったので、次の日に行きました。「肋骨のレントゲン摂って」
また顔すら見ない。レントゲンは骨は異常ありませんでした。「先生、打撲ですか?」「はー?」と鼻で笑って終わり。その時に右目の引き攣りを言ったのですが、医者は返事すらしませんでした。その後、効いているのか居ないのか?解らないような電気をかけても首は回らないわ、顔は痙攣するわで踏んだり蹴ったりと思いながら、
11月1日を迎えたのです。
またいつもの様にパソコンしか見ていない。
「もう二週間だから、治った?」
「は?治りませんよ」
「あんまり大事にし過ぎたら治らないから、まー3ヶ月通ってもいいけど」
「先生、顔が引き攣り、唇が痺れるんですけど」
「は?首の神経は顔には繋がってないよ。なに言ってんの?あ?気のせいだろ?」と高圧的な態度で言い返してきました。「は?気のせい?😳これ、気のせいで動くんかい?私の顔?」と言ったら、慌てて言い直していました。私はもういいわ、別の病院に行こうと思いGoogleで調べると、
脳神経外科で診て貰えるとありましたので、保険屋に電話して次の日に脳神経外科に言ったのです。
先生とても親切でした。事故の状態をしっかり聞いて下さり、顔の痺れは事故には関係ないと説明してくれました。すると「56歳?脳のMRI撮った事ある?」と仰ったので「無いです」と言うと、
頭を打ってると言うし、撮ってみる?と言って下さったのです。
思えば交通事故から今までの一連の流れは、
私を脳神経外科へ導く為に起きた事だと、
MRIの検査結果を見て確信しました。
ドクターが「大変、あのね、貴女。右の脳幹の近くに脳動脈瘤が有って、直ぐに中東遠を紹介するから行ってください」
「😳脳動脈瘤?命に関わりますか?」
「当たり前でしょ?破裂したら死ぬよ。でもよく見つかったね。この大きさだと無症状だから、ほとんど気づかずに近未来、脳卒中、クモ膜下出血で大変な事になる。よく検査して良かったね」
私は動揺するより「お助け下さりありがとうございます」と思いました。帰って直ぐに主人に説明して、仕事を休まなければなりませんのでお弟子さんにも後の事を説明する為に連絡をしたのです。
その夜に脳動脈瘤の事を詳しく調べてみると、やはり無症状の場合はほとんどが見つからないで、
破裂してクモ膜下出血になり最悪は死亡するとありました。私は神仏の加護により「奇跡」が起きたのです。
もしも守られていなかったら、なにも知らずに近未来、この世とお別れだった気もします。
まだ生かされるんだなと思いました。
その夜に長い瞑想をしました。
メンターが告げた「孤独」とは?この病気と戦う事?いや違う。私は自分の人生を「孤独」だと勘違いしていた事に気づきました。私を愛してくれる人はこの世には居ないと言う考えの「孤独」
ですからメンターは「そなたの孤独は孤独じゃ無い」と言ってきています。
私はある年齢から「生死一体」と言う考えがあり、死が酷く怖いと言う考えはありません。
生→死→生→死の輪廻で死は、生の始まりと言う考えなんです。
もしこの脳の病で私が死ぬとしたら?と考えてみると、突然暗い夜にしんしんと雪が降るかのように鎮まり返りました。
そして心の底から出て来た言葉は「本当にありがとう」でした。
1、幼い時、最愛の父を失いましたが、父は私の為に不動明王となって36年も守り続けてくれました。
2、なぜか?友に恵まれました。良き友が居て幸せだったと思います。
3、主人と結婚して苦労は多かったですが、私の母を診てくれたから、私は母を悔いなく見送る事が出来ました。
4、もう縁がないと思っていた子供に二人も恵まれました。
5、大阪から離れても親友は19年ずっと側に居てくれてお世話になりました。
6、静岡に来たら、たくさんの人がよくして下さいました。
7、なぜか自分の守護神(メンター)が現れてくれて、阿朱庵を立ち上げ成功させて下さいました。
8、身内の居ない私でしたが、アトリエプロットさんご家族がまるで家族のように迎え入れて下さいました。
9、多くのお客様が私を信じ、慕って下さいました。
10、娘は居ませんが、多くの娘達がお母さん、とやって来てくれました。
11、そして今、弟子が力強く私を支えてくれています。
本当にメンターが言うように「孤独」など幻でしかありません。
それを孤独と言うなら、愉快と思え🤣その通りです。楽しい56年だったと「ありがとう」です。
ただ、全く死ぬ気がしません。漠然と大丈夫🙆♀️そんな気がします。
脳動脈瘤が見つかってから、不思議ですが顔の痺れはピッタリ止まったのです。
この交通事故がなければ、整形外科医がやぶで、顔の痙攣を気のせいと言わなければ、脳神経外科のドクターが56歳だからMRIを撮ってみる?と言わなければ、無症状な脳動脈瘤を見つけられず、私は母と同じように57歳で脳卒中でこの世を去らなければならなかったかも知れません。
ただ侮れない病気の為、心の準備をしました。
つづく
