この度、主人の介護で病院に通っています😊完全看護の為、別に行く必要はないのですが、夜になると「母ちゃん、明日来てくれる?」とラインが入るので、仕方なく行きます💦なんせ偏食の為、病院の食事が食べられない。それと潔癖症なんで、身の回りが汚かったり、髭が伸びると嫌。更にガサツな看護師さんだと心が折れるそうです😅このような我儘の為、私は毎日往復4時間を通っています😅
今日は介護をしている人の周りの人についてお話をしたいと思います。
遥か昔、私は結婚して間もなく義父の介護をしました。それから暫くして母の介護を10年しました。
そして今主人の介護なんですが、主人の介護は義父や母の介護の時とは歴然と違う事があり、私は心穏やかに主人の介護に挑んでいます。
当時は20代でしたから、仕方ないか?と思いますが、義父の介護の時も母の介護の10年も、本当に辛い思いばかりだった記憶があります。
ところが今はそれほどでもありません。
年なんで体は多少しんどいですが、心がとても満たされているからだろうと思います。
なんどかブログでお話した事がありますが、義父の介護の為の家族会議の時は「あんたは来なくてよい」と義兄に言われ、会議が終わるのを待っていましたが、蓋を開ければ「介護はあんたがする事に決まったから」一言で義父の介護を私がすることになりました。
完全看護ではない個人病院の為、付きっきりです。1日、誰かに代わって欲しいと頼もうものなら、罵られました。家族や主人からの労いの言葉も一言もありません。
義姉の旦那に至ってはたった一度っきり見舞いに来た病室で「ちゃんと面倒みろよ。なにやってんや?」と私に暴言を吐きました。
ところがその時、考えもしない事が起きたのです。
当時私は二十歳。何もかも初めてでおむつ交換も下手くそ、痰の吸引も上手くできない為、よく部長さんに叱られてました。婦長さんは割腹が良く、日本の母代表みたいな感じで叱られても嫌な気がしませんでした。介護の腕が徐々に上がると「おー凄いやん。とーちゃんええ嫁来たな」と義父に言ってくれました。たまたま義姉の旦那が私に暴言を吐いている時に部屋に婦長さんがいらしてその光景をご覧になり「なんや?あんたは?誰や?父ちゃんの娘の婿か?そうか。ほんならあんたは実の娘か?」と婦長さんは大きな声で義姉を見て言った。
婦長さんの勢いで義姉の旦那は黙りました。
「あんたら、この子に感謝しいや。若いけど、どんだけ立派な介護してるか。あんたら来もせんと、なに偉そうに言ってるんや。文句なんか言うたら罰あたるで。感謝しい。この子に任したら父ちゃんは、幸せや。偉そうに文句言わんでええわ。滅多に来もせんとから」と仰って下さいました。
私が暴言を吐かれてもなにも言えない旦那とは大違いの、パワーと輝きで私を助けてくださったのです。更には義父が「お前ら帰れ、もう来んでええ。ちいちゃん(私)が居たらええ。やかましい。誰も来んな」と言ってくれました。本当に報われた気がして嬉しかったです。
義父は暫くして昏睡状態に陥りましたが、その前日に私の手を握り「ありがとう。ありがとう。ちいちゃん。ありがとう。お父ちゃん、ちいちゃんが嫁に来てくれた事が幸せやった。ちいちゃんに会えて嬉しかった。やっちゃん(主人)を頼んだな」と言って3日目でしたか、静かに息を引き取りました。
母の介護の10年は更に厳しく、母からは10年間、感謝の言葉を聞く事は一度もありませんでした。
ただ、亡くなる数ヶ月前に母が「お母ちゃんの人生は幸せはひとつも無かった」と言った時に「お母ちゃんの人生は、幸せがひとつも無かったんじゃなくて、感謝の心がひとつも無かったから幸せを感じる事か出来なかっただけやで」と言い返しました。その私の言葉は母と生きた33年間の私の思いの集大成です。
ところが母の葬儀の時に、親戚、ご近所や母の友達から「ねえちゃん、よーやったな。お母ちゃん幸せや。あんたがおらんかったら、お母ちゃんは、ろくな人生送ってないよ。あんたが守ったんやでお母ちゃんの幸せ。立派やった、よーやった。素晴らしい葬式や。誰も文句ないわ」とお褒めを頂き「やっと大役が終わったんだな」としみじみと思いました。
義父と母の介護で13年。長かったと思いますが、
母が亡くなり既に24年。
私はこの経験から自分の人生に於いて不動の「自信」を神仏から頂戴したと感謝しています。
不屈の精神で与えられたお役目を終える。
これが「人生」(人が生きる)と言う事だと思っています。
今回、主人が思わぬ事故に見舞われ、大変ではありますが、当時の介護とは歴然と違う事があります。
それは介護をしている私に「労いの言葉」をシャワーのように掛けてくれる存在、息子達が居る事です。
長男はいつも私の体を気遣って、帰るとお風呂に湯を張ってくれますし「浜松で美味しい物を食べておいで」とお小遣いをくれました。2500円の蟹弁当を一人で食べました🤣
次男は、掃除、洗濯をしてくれて「お母さん、なにか困った事はない?」と聞いてくれるので、
「4時間立ってるから足が痛いな」と言うと、足の土踏まずとふくらはぎを1時間もマッサージしてくれます。
「お母さん居なくて、色々不便で迷惑かけてごめんな」と言うと、長男は「何回もそんな事言わなくてええよ。体を大事にしないと」と言ってくれます。
次男は「僕も怪我をしてお母さんに迷惑かけたから、お返し」と言ってニコニコお手伝いをしてくれます。
「お母さん、こんな幸せないわー。ありがとうな」と言うと、子供達も「ありがとう。お母さん」と言ってくれます。
状態はあたかも「過酷」に見えますが、人生最高の「安穏」と言えます。
私のところに「介護」の辛さでご相談にお見えになる方は、一様になにを仰るか?と言うと「誰も労ってくれない」と言う言葉です。
酷い話になりますが、旦那さんが自分の親の介護を長年の間お嫁さんにさせて、自分は浮気三昧だったと言うお話しです。
言うまでもなく、最低レベル。
どなたが介護に当たっておられるかはわかりませんがその方に対して必ず周りの者がやらなければならない行いがあります。
それは
①「感謝」→ありがとう。たったこれだけの言葉も言えない阿呆がわんさかいます。主人の身内も私の母も阿呆でした。この言葉が聞けたら人間って頑張れます。
②「労い」→いつも悪いね。迷惑かけるね。体は大丈夫?あなたが居てくれるから、みんなが幸せ。無償の労働に対してせめて「毎日悪いね、迷惑かけるね」と労うのは当たり前と思います。
義姉の旦那なように、立場も弁えず介護している人への暴言は、天罰が降りますよ。義姉の旦那も天罰が降りました。
③「謝礼」→当たり前に謝礼をお渡しするべきです。妻であれ、子であれ。兄弟姉妹であれ。
介護はしたくない、遺産は欲しいでは最低レベルです。
義姉夫婦は「来たってる」とばかりにお見舞いに来る交通費を私に請求してきましたが、びた一文私に謝礼などありませんでした。母も「子が親を診るのは当たり前」と言ってびた一文出しませんでした。
主人の身内は「嫁が介護するのが当たり前」
母は「娘が介護するのは当たり前」と言う考えだったのだと思います。
重度の認知症や障害のある方の介護をする人は、いつ終わるかわからない「苦しみの闇」の中にいます。介護を免れた周りの家族や身内はその闇に少しだけ光を射す事など容易いです。上記の3つをするだけなのですから。周りがそれをして差し上げないから介護の辛さばかりで心が壊れてしまうのです。
自分の生活の殆どを割いて「その人に尽くす」と言う事は、並大抵ではありません。
よく聞きます。「介護はしない、遺産は欲しい」「嫁に押し付け遊び放題の旦那」この輩の天罰は、如何なるものか?私は嫌と言う見ました。
介護は一人に押し付けるものではないのです。
