早いですね~もう12月・師走。そして忙しい(笑)
今年の「阿朱の会」のテーマは「金運をアップするには?どうするか」を1年かけてお話しをして来ました。11月の「阿朱の会」にご参加下さった方から「あんじゅさんのお話し通りに頑張っていると・・・凄い金運を頂きました」とたくさんのご報告を頂戴して私もとても嬉しいです。お金と金運とは似ているようで全く違います^^それに気づくとお金はたくさん手に入ってきます。皆さん頑張って超金運を引き寄せて下さい^^
そして来年の「阿朱の会」のテーマは「女性の幸せ」「子育て」についてお話ししたいと思っています。母がお幸せで無いと、豊かな子育てが出来ません。女性がお幸せでないと、男性もまた幸せを掴む事はできないのです。
豊かな子供が日本にたくさん増える事が私の心からの願いなのです。
その為には子供に一番多く関わる「母」がなによりお幸せで、やがて日本を担う我が子に「愛」「優しさ」「強さ」「生き抜く力」「育てる尊さ」を身をもって教えない限り子供は、決して豊かには育たないし、その子が親になった時に豊かな子育てが解らないのです。
今・・・まさしくその時代ですね。我が子を虐待する。殺してしまう・・・・。私は虚しくて仕方ないです。
今日は私がこの年になっても「赤い花が飾れない」理由をお話しします。
丁度私が小学校4、5年生でしたか?母の日の出来事です。
自転車で30分位走ったところの商店街に当時では珍しい「私の部屋」と言うおしゃれな雑貨屋が出来ました。
友達が「あんじゅちゃん・・母の日のプレゼントを私の部屋で買おうや~~自転車で買いに行こう」と誘われ、私もいそいそ貯金を持って行きました。
お店はおしゃれでいくら見ても見ても飽きない。友達もみんなどれにしようか?と迷ってなかなか決める事ができませんでした。
私は5時が門限だったので、母には湯呑を選んで包んでもらいました。
でも友達は、なかなか決まらない。私は5時に家に帰らなければいけないのでとても焦りましたが、せっかくお母さんの物を選んでいるのに早くして・・・とも言えず待っていました。4時15分を過ぎてもまだ決まらない。
私は5時に家に着くには遅くても4時30分には店を出なければならないので、友達に言いました「ごめん・・・先に帰るね~~」でもみんなが「あんじゅちゃん、みんなで帰ろうよ~~」と言うので、仕方なく待っていました。結局お店を出たのが4時45分位になってしまったのです。
私は必死で自転車をこいで、走って階段を上がり、家に走り込みました。
ところが母は鬼の形相で「お前は何を遊び呆けてるんや?何時やと思ってるねん?」と冷たく言い放ちました。私は一生懸命買ってきた母の日のプレゼントを母に差出し「お母ちゃんの、母の日のプレゼントを買いに行ってて・・・・・みんなが、なかなか決まらなくて・・・・」と言い終わる前に、私からプレゼントの箱をむしり取って「こんなもん要らんわ~~。親の言う事もろくに聞かれへん。疫病神が~~」と玄関にプレゼントを叩きつけました。ガッシャ~~ンと鈍い音と共に、お店の店員さんが母の日にと付けて下さった赤いカーネーションの花が回りに飛び散ったのです。
母は「さっさとご飯の用意して、洗濯せんか~~糞の役にも立たんわ。お前わ」と罵り、寝るまで不機嫌でした。
私は母が寝静まってから、そっと起き上がり玄関に投げられたプレゼントを見に行くと、父がそっと起きて来て玄関の電気を付けました。
私が箱を拾って振ると、ガシャガシャと既に割れている音がしたので、父が「もう開けたらあかんよ。手を切ったらあかんから。お父ちゃんが捨てておくからな」
散らばったカーネーションを拾い集めてくれている父の悲しそうな手と、白熱灯で照らされたカーネーションの真っ赤な色が胸に突き刺さって来ました。父が「なぁ~~こんな酷い事せんでも・・・せっかくあんじゅちゃんが、お母ちゃんの為に買ってくれたのになぁ~お母ちゃんは阿呆やな」と私から箱を受け取りながら父が私の手をさすってくれました。
私はその父の優しさと、母へのどうしようもない虚しさから、溢れる涙を止める事ができませんでした。でも声を出すと母が起きて来て、また罵るので奥歯をぐっと噛んで、声を出すことなく号泣した事を今も覚えています。
翌日、いつものように学校へ行くとみんなが母の日の話で盛り上がっていて、昨日一緒に雑貨屋に行った友達が集まって来て「お母さんが喜んでくれた」とか「凄いご馳走をみんなで食べた」とか口々に話してくれました。「あんじゅちゃんは?」と聞かれたので、満面の笑みで「凄い喜んで、美味しいご馳走を家族で食べたよ~~」と嘘を言いました。
すると目の前に真っ赤なカーネーションが見え、私は吐き気がした。
その後、私は母の日を祝った事は一度もありません。それから何度か母の日を迎えましたが、友達と母の日のプレゼントを買いに行っても、買ったものは途中のゴミ箱に捨てました。また玄関に投げるだろうと思うからです。
私が大きくなった頃、母は数年前の自分が娘にした仕打ちなどすっかり忘れて「よその娘さんは母の日に、なんかプレゼントするのに・・お前は何にもくれへん。苦労して生んで、育てても意味がないわ」と怒っていましたが、私は母がどれだけ罵ろうと「悪い」等と一度も思った事はない。
それ以降私は赤い花、特にカーネーションを見るとあの画面が目の前に見えるのです。父の悲しそうな手。真っ赤なカーネーション。母の日など虚しく自分が哀れにしか見えない日・・・。それ以来、私は赤い花が飾れなくなりました。
でも・・・去年のクリスマスプレゼントに次男が真っ赤なバラの花籠をプレゼントしてくれたのです。「赤い花・・・・・」やはり40年以上前の光景が見える。でも次男に「めっちゃ嬉しい。お母さん幸せ~~」と言うと次男は喜んでくれました。その笑顔を見てやっと、赤い花が「虚しい花」ではなく「綺麗な花」なんだと思えるようになった気がします。
去年・・・引っ越してから庭づくりに励んでいますが、お客様から「あんじゅさんのお庭・・・綺麗だけど赤い花が全然ないですね」と言われました。
きっと無意識に赤い花を選ばないんだと思います。でも最近・・・赤い花を見ても「虚しい気持ち」になる事が無くなりました。先日思い切って赤い花を購入。庭に植えてみました。するととても綺麗なのです。

赤い花は綺麗なのです。本当に綺麗だなぁと思います。
母にとっては自分の怒りのストレスの発散でしかなかった出来事だったと思いますが、私の心は深く傷ついてそのトラウマが赤い花を飾れなくしてしまった・・・と言うより私は赤い花を自分に近づけない事で目いっぱい母を拒絶して来たのだと思います。
母が晩年・・・私に言いました「お母ちゃんの人生は苦労ばかりで一度も幸せが無かった・・・」と。
母は57歳で亡くなったのですが、その言葉を吐いた時、私は「57歳の人生の中で一度も幸せが無かった人生・・・。珍しいおばはんやなぁ」と笑ってしまいました。
母が言うように「幸せ」が無かったから、子供を愛せなかったのなら、
母が幸せでなければ・・私のような思いをする子が後を絶たないのです。
でも・・・私は53歳、今幸せしか感じないのです。ほんとうに有り難くお幸せだと思います。
母の人生と私の人生がどう違ったから、片や「幸せの全くない人生」で
片や「幸せばっかりの人生」になるのか?
来年の「阿朱の会」で余すところなくお話しさせて頂きます。
多くの方が「阿朱の会」に集って下さる事を今から願っています^^
どうぞよろしくお願いします。