
先日お話ししました続きです。終活と来活②
①でお話ししましたのは終活は「死に支度」ではありません。豊に幸せに生きる為の段取りの事ですとお話ししました。
そして終活は「1、心垢」を浄化して「2、物垢」を断捨離しなければならない事もお話ししたと思います。
1、「心垢」は過去の人間関係の陰の執着でこびり付きだします。恨み・妬み・嫉み・依存・愚痴・・・等々。これらはみんな負の人間関係が招く心垢なんです。
私のところに相談に来られる殆どが方が過去、或いは今の「人間関係」で悩んでおられます。そう思うと心垢を取り、悩みの無い人生を送るには過去と今の人間関係を整理することが最重要になります。
1、過去の陰の人間関係を心の中から払拭する方法
「因果応報」と言う仕組みを理解する。
人は、相手が自分を裏切ったり、辛い思いにさせた人間に対して「復讐」を考えているとその人にいつまでも執着してしまいます。
「人を呪わば穴二つ」と昔から言うように人を恨んだり・呪ったりして復讐を考えると自分も共に墓穴に入りますと言う意味の事です。
そんな大嫌いな人間と共に墓穴に入りたいか?と問われると冷静に考えれば決して入りたくないですね。
そして自分が復讐を考えなくても「因果応報」鏡の法則で、他人を苦しめれば、人に与えた苦しみの数倍の苦しみを人生の中で自分が受けて償わなければならない出来事が起きるのです。
言うなれば人間が人間に復讐を考えなくても超パワーの法則でやがて罰が下る。
その「因果応報」を理解できれば、自分が陰の執着で長年に渡り不幸せな気持ちにならずに済むと言う事です。
私は自分の人生の中で「因果応報」で罰が下った方を多く見て来ました。
母があれだけ憎かった人もやはり途轍もなく不運を味わっておられる姿を見ました。母にした事の因果応報かどうかは凡人の私には解りませんが・・・原因と結果が現れたと思います。
そして・・・本当の復讐とはなんでしょう?それは「忘却」なんです。忘れ去って、消し去って、捨てちまう事。不思議ですが相手の全てを忘却すると「因果応報」は相手に早く現れ、いつまでも執着しているとその因果応報を阻むと言う事になります。ですから過去の陰の執着は忘れ去って自分の前向きな幸せを考えて生きている方が、復讐を考えて生きるよりも・・早く相手に罰が当たると言う事です(笑)
早く結果を出したいなら・・・早く忘却の彼方に負の人間関係を叩き飛ばす心構えが必要なんです。
終わってしまって変える事ができない過去の人間関係を引きずる程、不幸で愚かしい事はありません。過去は過去に流し、更に忘却と言う天中を下せば、自分は幸せな未来を切り開く事が必ずできます。
よく「あんじゅさんはお母さんが憎しでしょうね?」とブログを読んでいる方から聞かれますが、私は母を憎んでいません。来世は会いたくないですが母の来世の豊かな幸せを願っています。母にされた仕打ちを憎み、恨み復讐を考えていたとしたら今の私のこのお幸せは掴めていないと思います。母にされた事など等に過去に流し、私は私だけのこの人生の幸せを常に考えて生きています。
2、今の陰の人間関係を払拭するには
「人間関係は魂の格が決定する」と言う事を理解する
日本は子供が生まれたら「友達をたくさん作る事が素晴らしい事」と教えますが、さてそれは正しいでしょうか?昔の歌にありましたね「友達100人で来るかな?」って。私は100人も要らないと思います。今の世の中を見て下さい。うら若い子供達が友達関係で心底悩んで自殺をしています。いじめに合ったり、孤立したり、「永遠ではない友達」の有無が、自分が生きる事より重要視される事など可笑しい限りです。
親たちも「あんた・・・友達の一人も居ないの?」とか「嫌われないようにしなさい」とか「うちの子、友達が居なくて心配」としきりに子供の人間関係に口出しをして「友達がいない事」=「駄目な子」「寂しい子」「変な子」と潜在意識にインプットしています。これは大きな誤りです。私が幼い時、母は自分に降りかかる私の問題が面倒で常に「友達と喧嘩をするんじゃない」喧嘩をすると私の話も聞かず「お前が悪いから今すぐ謝りに行け」「嫌われるのはお前の根性が悪い」と言いました。
ですから私は幼い時から「八方美人」「事なかれ主義」だったと思います。それはやがて中学校に入ると病的になり始め、万民に嫌われてはいけない、学校の全員に好かれなければならない・・・・あの子は良い子と言われなければくずだ・・・と思うようになり、常に自分の意見を押し殺し相手に合わせていました。でもこの関係は2人の時は良いですが3人になって他の二人の意見の対立があった時「あんじゅちゃんはどっちの味方?」となると、自分の意見が言えず両方に合わせなければならない、息も止まる苦しみでした。こんな状態ですから私は小学生の時は「あんじゅちゃんは優しい」と言われていましたが、それが幸せであったかと言うと苦しいだけで幸せでは無かったと思います。
その後、段々人間恐怖症のようになり・・・母との険悪な関係も加わり酷い自律神経失調症になりました。でも親から長年言われ続けていた擦り込みは、大きくなってもなかなか払拭できず・・常に自分の意見が言えない八方美人で、他人から良いように思われたくて・・それによって時には嘘をついてしまう事も多々有ったと思います。そしてその嘘が自分の首を絞めて対人恐怖症になった事もあります。
それは全ては「万民に好かれよう」と誤った考えだったからです。
いつの時だったでしょうか?夢の中で仏様がお話しをして下さった事があります。それは「魂の格」の話。
人には魂の格があります。その格が等しいと親友になれますがかけ離れていると・・・・友達になろうとしてもその関係に疲れるだけです。人は万民に好かれない、また好かれる必要性も無いのです・・・と言うお話しだったと思います。暫くして・・・法華経の本に出会いふっと見るとそこには、
お釈迦様でさえ妬まれ、嫌われるのですから人間が自分を嫌う人が居ても恥ではない。ただ魂の格が合わないだけだ・・と書いてあり、また魂の格が高い人はより高い人と知り合え、低い人は低い人と合うのです。ですから正直で優しい人はその魂の格に等しい、正直で優しい人と沿い、意地悪で陰気な人はその魂に等しい人と沿うのです云々。魂の格の高い人は低い人の悪口を言いませんが、余りにも魂の格の低い人は自分より高い人を妬み悪口を言うのです。私はその一文を読みハッとしました。その出来事があってから私は徐々に変わり出したと思います。そして今に至るのですが・・・魂の格の等しい人だけを「友達」と思っていますから私の友達は6から7人くらいで少ないです。そしてみんな大阪にいます。でも微塵も寂しくありません。そしてお友達ではないですが尊敬する人、感謝をしている人もたくさんいます。次にお知り合い。次にご近所。知らない人と続き、最後は自分の人生に関係の無い人と続きます。以前お話ししました。自分の前に3本の線。
これを徹底する事で・・・孤独は一切なくなります。
親は子供の時から人間関係に置いて「自分は自分・人は人」を絶対的に教えなければ・・・「永遠では友達関係」にやがてつまずき・・・命を絶ってしまう不幸が起き兼ねません。
今のお子様は「自分は自分」が必要以上に身についていてともすると我が強く口ばかりが達者な子も居ます。それは親の教育に「人は人」を置き去りにしてしまっているからです。「自分が自分」なら「人は人」これは二つで一つです。
「自分の考えはこうだけれど・・・人は違う意見を持っているもの。
自分と違う思想であったり、意見の持ち主は当たり前にいます。だからと言ってその人をいじめたり、無視するのは誤まりであり、愚かな事。それは魂の格が違うだけ」と言う事を理解できたら、必要以上に他人の意見や行動が怒りの鉄拳になり常にイライラする事から人は逃れられるのです。
私も昔は他人の意見や思想にイライラしたり腹を立てたりする事がありましたが、人間関係の終活をしだすと殆どの人間関係が必要の無いものと気づきました。
ただ・・・「全ての幸運は人を介してやって来る」ですから、出会いを疎かには出来ませんが、自分の魂の格と等しいか?自分の前に3本の線のどの位置に存在するか?を見極めて「自分は自分・人は人」と割り切る事が心の底から人間関係が楽になります。
人の心は「低反発枕」でなければなりません。
職場や、学校等どうしても魂の格が等しくない人たちの中での時間を送る時は、協調性を持って形を変えるが、自分一人になった時、すぐまた元に戻り自分らしさを大切にする。それが常に心の安定に繋がります。
そして周りが低い魂の集まりなら・・・自分からそこを脱出する勇気が必要です。それはひとりぼっちになったのでなく、新しい魂の格が等しい人との素晴らしい出会いのチャンスがやって来たのです。
「独り生きる」この勇気を持った人は、その後出会う人の魂の格が必ずあがります。私が52年で経験した事です。
2、物垢は捨てられない事と買い癖で付きます
〇まず不必要なものは捨てて下さい。欠けた食器。3年来ていない服、履いていない靴。壊れた電化製品。壊れた傘。よくおられますが新しい財布に買い替えた時、以前の財布をタンスにしまう人。陰の気が財布に溜まり金運を尽く失います。子供のおもちゃ。一番いけないのは元カレ・元カノからもらった物。恋愛運を尽く失い、次の出会いがろくな出会いになりません。まず捨てる。
〇そして衝動買いは止める
これは欲しいのか?絶対的に必要なのか?を見極めてから購入します。
〇無駄使いをしない
これは必要なものをひたすら我慢する事ではありません。
無駄使いをしない=安物買いをしない事です。
私も昔はそうでしたが爪に火を灯すようにして必要なものを我慢しても、裕福になったか?と言えばなりませんでした。
必要な物が多少高価でも・・・ネットなどで調べて「その物が最底値」になっているお店で買ったり、安くして頂いて買うのは良いですが・・・似たようなもので安いからとそっちを購入すると・・・直ぐ後で後悔してやっぱり欲しかった物に手が出ます。或いは欲求を満たされないままで脳は満足しない為、イライラが続き他の安物の衝動買いに走ります。その結果・・・家に使わない無駄な物が溢れかえるのです。本当に欲しくて必要な物を手にした時・・人間の脳は欲求を満たし大満足します。すると・・・・次から次へと無駄な物を欲しくならないのです。
私も昔は安物買の銭失いでしたが・・・今は必要な物でたとえ高価でも、貯金をして最底値を探し、お安くして頂き・・・心から求めている物を購入するようになりました。すると幸せ感にいつも満たされていて、安物を買い漁ってお金がないと不平不満を言っている時より遥かに金運が上がりました。
そして不思議ですが「心垢」と「物垢」はどちらから始めても構いません。
人間は生きる力が衰えると何をするのも億劫になりますが。一瞬だけ、
憎しみを忘れる。一個だけ捨てる・・・とアクションを起こすと歯車が動き始めるのです。一瞬だけやってみる・・・・すると上手く人生の終活が出来ます。
私は52歳になり、人様から「あんじゅさんいつも笑って幸せそうですね」と言って頂けるようになりました。有難い事と・・今の幸せに心から感謝をしています。でも私が52歳の晩年にこれほど「幸せ」を感じられるのは、宝くじが当たった訳でもなく、大富豪と再婚した訳でもありません。心の垢と物の垢を終活して、怒りと妬みと不安、要らない物質を捨て去ったからだと思います。
終活が生きて行く上で如何に大切な事かと私は思っています。
次回は「来活」についてお話ししますね^^お楽しみに^^