イメージ 1
ありがとう・・・素敵な言葉ですね^^私はこの「ありがとう」には超パワーが宿っていると思っています。
なぜかと言うとこの言葉を耳にすると人はなぜか・・・
〇嬉しくなる
〇優しくなる
〇爽やかになる
それも言ってもらった人だけでなく、言った本人も、なんの関係もないその場に居るだけの人も爽やかになれます。不思議ですね。
人間関係においてこの「ありがとう」は欠かせない魔法の言葉です。
 
私の父は、母とは全く違う人間性で豊かで優しくこの「ありがとう」を巧みに使い、素晴らしい子育てをした人でした。
10年余りしか父とは暮らせなかったのですが、私の心の中には絶対的な存在で今も鮮明に生きています。
母は「自分の子供に感謝や謝罪など必要ない」と言う考えが強く、「子は親の言う通りに生きていれば良い」「親に誤りはない」「言う事を聞かなければ暴言・暴力も躾」「子は親孝行して当たり前」と言う子育てでした。
でも兄は「将来自分の面倒を看て貰える長男」でしたのでとても大切にしました。ところが私は「他所に嫁に行って、将来何も役に立たない子」でしたので上記のような扱いが如実でした。何かに付けて兄とは差がありました。
でも父は私を「目に入れても痛くない可愛い娘」といつも言って大切にしてくれたのです。兄とも差を付けずいつも笑顔で優しい父でした。
私は幼い時から母に家事をさせられましたので、料理も掃除も家事の殆どがとても小さい時から出来たと記憶があります。
でも母は私が何をしても「ありがとう」などと、一度も言う事はありませんでしたし、それどころか私が自分の思い通りに出来ていなかったり、失敗をしようものなら「お前は何の役にも立たない」と罵り、料理の味が悪いと癇癪を起し「こんなもん食えるか~」と台所に投げ捨てました。でも私が泣きながら台所を片付けていると父が来て「お父ちゃんが片付けるからいいよ、いつもお手伝いをありがとうな」と言って頭を撫でてくれました。私は父の優しさがいつも身に染みて感謝をしていました。父が生きている間、私は父の「ありがとう」を目いっぱい聞いて育ったと思います。
「お父ちゃんはあんじゅちゃんのような娘が欲しかったから神様にありがとうって毎日言ってるよ」
私が父の仕事着にアイロンを掛けると「わ~綺麗に仕上がってるわ~~あんじゅちゃんありがとうな」と言って喜んでくれました。
この念珠の仕事を教えてくださった先生も、お世話になった「阿朱庵」の名付け親の先生も私の生い立ちを知る人が口を揃えて言って下さる言葉があります。それは「貴女・・・よくひねくれなかったね」でした(笑)私の生い立ちを聞くとひねくれても可笑しくないけれど、ひねくれているどころかとても他人を思いやり、暖かな心を持っている・・・とお褒めを頂いた事があります。
そう言われれば、そうかも知れません。私は確かに自分の人生を「なんでこんな過酷な人生なんだ?」と驚いた事はありましたが、だからと言って他人の幸せを妬んだり、恨んだり、憎んだり、馬鹿にしたりした事は記憶の中には無いと思います。今思えばそれは、たった10年足らずではありましたがいつの日も、いつの日も父の「ありがとう」の言霊が常に私の心を癒し、優しさと思いやりを育み、また強く、逞しく成長させたのではないか?と思っています。
 
私は子育ての中で殆ど子供を「いい子だね」と褒めた事が無いのですが、褒めるより100倍「ありがとう」を巧みに使って子育てをしてきたと思います。父が私にしてくれたように・・・・。
子供達が幼い時は仕事に明け暮れて、いつも長男が次男の面倒を見てくれました。次男を保育園に迎えに行って長男に「お母ちゃん、買い物に行ってくるから公園でたつやと待っててよ」と言って大急ぎで買い物に行きました。陽が落ちるのが早い秋は、薄暗く誰も居なくなった公園で長男が次男をブランコに乗せて押してやっている姿に涙が出る事もありましたが私の姿を見つけると二人が走って迎えてくれました。その時に、ごめんねではなく「ありがとう」と、私の帰りを待ってくれていた事に感謝を述べました。お友達に親切にした姿を見た時も「ありがとう」。
横断歩道で立ち往生しているお婆ちゃんの手を引いて向こう側に一緒に行ってくれた時も「ありがとう」。
お母さん・・嬉しいよ。ありがとう。
といつも伝えて来ました。随分前の話ですが子供達は言わなくても炊事や掃除をしてくれる事があります。それを見た主人が「子供が家事をしてくれてるんやから小遣いやれよ」と言いました。でも私は主人に「家事や炊事をするのは人間やったら当たり前の事。当たり前の事をしてるだけでなんで小遣いをやらなあかんの?」と言うと主人は私にケチな母親と言いましたが、私はお金が惜しい訳ではありません。
子供達が大きくなって私が居なくなれば、当たり前に家事をしなければなりません。まして結婚をして奥さんが共働きだったら家事をするのは当たり前でお小遣いなど貰えません。家事=お小遣いを貰うの習慣がついてしまっていると、大人になると当たり前の事をしてもお金を欲しがってしまったり、お金が貰えないなら家事をする気になれなくなるのです。
私は主人にケチと言われようと、子供達が家事をしてもお小遣いを渡した事はただの一度もありません。ただ
ありがとう
この5文字だけを心を込めて伝えて来ました。
ですから今も家事を頼んでも、一円のお金も欲しがる事なく当たり前にしてくれます。それどころか日々の生活の中で「ありがとう」をたくさん私に聞かせてくれるようになりました。
長男は帰って来ると必ず「お母さんお弁当美味しかったよ。ありがとう」と言います。お給料日は明細を私に渡してくれて「今月の給料。今月も働けたねお母さん。ありがたいね」と言うので私も「お兄ちゃんのお陰でお母さん助かるよありがとうね」と言います。テレビを観ていると突然「お母さん・・いつもありがとうね」と言いますので私も「お兄ちゃん・・いつもありがとうね」と言います(笑)別に意味はありません。
次男も卒業式の少し前に「お母さん・・・3年間本当にありがとうね」と言いましたので「たっちゃん・・・お母さん3年楽しかった。ありがとうね」と言いました。
たった一言の「ありがとう」ですがその言葉の中には、多くの語りつくせない「愛」が秘められているのだと私は思っています。
そしてありがとうは人の怒りまでも消滅させてしまいます。
それは私が長い間、接客業をしている中で思った事ですが、クレームをおっしゃるお客様に対して無暗に「すみません・すみません」と謝罪をすると、返って怒りを増長させてしまう事があります。例えばクレームの電話が有った時、話も聞かないで「すみません」と言うと「まだ何も言ってないのに謝れば済むと思うな」と更に怒る方が多いです。
謝罪は時と場合によっては相手の攻撃を強めるのです。なぜかと言うと、謝られると「自分が正しい」となってお客対店員の立場が一瞬で上下に別れてしまうからです。
ですので私はお客様のクレームに対して最初からは絶対に謝罪をしませんでした。必ず「あんたのお店こんな潰れたもの売ってるの」と言われた時は「これは、これは貴重なクレームを頂戴致しまして誠にありがとうございます。どのような事がございましたか?どうぞ全てお聞かせくださいませ」と言うと一瞬で殆どの方の怒りは80%くらいダウンします。そしてクレーム内容をしっかり聞いて「さようでございましたか・・・はい。あぁそれは誠にご迷惑をお掛け致しました。この度はお客様の貴重なお時間を弊社の為に頂戴致しまして誠にありがとうございます。そのお品物を返金、または交換させて頂きたいのですが、またご来店くださいます事はありますでしょうか?私はあんじゅと申します。ご来店の際にはぜひお声をお掛けくださいませ」と言って電話を切ります。一言も謝罪をしなくてもお客様が納得される事がとても多かったです。またご来店下さった時は、駆け寄って「お忙しい中をお出向き下さり誠にありがとうございます」と言って返品・交換・返金をして「今後ともよりいっそうのご愛顧をよろしくお願いします。この度はありがとうございました」と言うと殆どのお客さんは私の名前と顔を覚えてくださって次のご来店の時には必ず友好的なお声を掛けて下さいます。
私は一言も「すみません」と言う事が無いクレーム処理も多かったです。(クレーム内容により例外もあります)
私はこの経験から「ありがとう」は素晴らしい怒り鎮静のパワーも持っていると思いました。「ありがとう」と感謝をされて腹が立ったり、恨んだりする方はいないのですね。「ありがとう」をたくさん聞いて育った子供達は・・
 
あ・・・愛し愛される事が身に付きます
り・・・倫理と理性が身に付きます
が・・・我慢と忍耐が身に付きます
と・・・尊び尊ばれる事が身に付きます
う・・・敬い敬われる事が身に付きます
「ありがとう」の5文字には、学校では教えて貰えない、教科書には書いていない、人間にとって最も大切な神秘のパワーが備わっています。
人は胎児の時からこの言葉をたくさん聞けば聞くほど豊かで、優しい人に育ち全ての幸運を自分の力で引き寄せるパワーが宿ります。
その為には、小さな社会(家庭)で、親が多くの「ありがとう」を口に出して
子供の心に「ありがとう貯金」をしてやらなければなりません。
たった5文字^^家族がいがみ合って居たいと言う人は居ません。皆さんの相談の多くは「家庭が不和です」とおっしゃる方が多いです。
ぜひこの「ありがとう」を巧みに使ってみてください。必ずお幸せに向かって歯車がかみ合って来ます。
私の人生のように・・・・・^^