• 0
イメージ 1
昨日のニュースで「島木譲二さん」の訃報を目にしました。
吉本の方々が心から涙を流されてお別れを惜しむ姿を見て私も涙が出ました。島木譲二さんは皆さんがおっしゃる通りあのままの優しく思いやり深い方だと私も思います。
私が十代の頃、大阪の三国と言うところで働いていた時、よく晩御飯を食べに行った居酒屋さんが有ったのですが、その店の常連さんだった島木さんを三度ほどお見掛けしたことがあるんです。当時私は家出を繰り返し荒んだ暮らしをしていて、若いのに覇気が全くなかったと思います(笑)
島木譲二さんが私の隣に座りました。私は島木譲二さんと気づきましたが別に好きでもないから知らぬ顔をしていますと・・・・「姉ちゃん^^幾つや?」「18・・・」「18?なんで18やのにこんなところで一人で?」
「ご飯たべてんねん」「そうか^^ご飯かいなぁ~~。別嬪さんがもったいないで~~おっちゃん、誰か知ってるか?」「・・・・・・・・・」
「おっちゃんは、浪速の渡哲也やで~~大阪名物ぱちぱちパンチや」
私が笑うと「元気出しや」と言って下さったのです。私が元気の無い顔をしていたのでしょうね(笑)
お連れさんといらっしゃっていましたからそれからお話はしませんでしたが、私が帰ろうとすると「別嬪ちゃん・・またな」と握手をして「元気出さななぁ」と強く握って下さいました。小娘が居酒屋で一人で晩御飯をたべているなんて・・・きっと違和感があったのでしょうね^^
その後も二度ほどお会いしましたがいつもあの豪快な大きな声と、輝く笑顔で声を掛けて下さいました。いつも後輩らしき方々と楽しそうに飲んでいらっしゃったのが思い出されます。
素晴らしい芸人魂と優しさ強さを持ち合わせた方だった・・・。
心からご冥福をお祈りします。
 
先日次男に「おでんするけどおでんの具をなんにする?」と聞くと
スマホでなにか調べ始めました。
「お母さん・・・「お」と入れたら「おでんつんつん男が出て来た~~」と苦笑いをしています。
皆さんもご存じだと思いますが「呆れた、笑えぬ報道」だったと思います。
彼は28歳で二児の父親だったからもっとびっくりしました。
報道を見ていると、おでんつんつんだけでなく彼の呆れた所業が幾つも
動画で流されていて、こんなにみっともない事はないと笑えない状態でしたが彼はそれを自分で全世界に自分が放映していたのですね。そして逮捕。
お母さんのお話では「昔から人を笑わせる事が好きだった・・・」と言うような事をおっしゃっていましたが「笑わせる事」と「笑われる事」の雲泥の差を教育なさらなかったのだな・・・と思います。
お母さんは「大切に育ててきたのに・・」と悲痛な状態で泣いておられましたが「放任」を「自由」と大いに見誤ったのです。
 
「笑わせる事」と「笑われる事」は「せる」と「れる」が違うだけですが
大きく違います。私は関西で育ちましたので小さい時から「吉本新喜劇」
「松竹新喜劇」を見て育ちました。
土曜のお昼に学校から帰宅したら「吉本新喜劇」を観て、
その後に藤山寛美さんの「松竹新喜劇」を観るのが楽しみでした。
吉本新喜劇ではお腹を抱えて笑わせてもらいました。
松竹新喜劇は藤山寛美さんの名演技で笑わされ、また泣かされました。
終演では感動のるつぼだった。
夜は「8時だよ全員集合」でまた笑いました。
家や学校で嫌な事が有っても週末の土曜日でストレスを発散してまた頑張れた幼少期がありました。
 
「笑わせる人」・・・その行いで決して嫌な思いをする人が居ない笑い、何年経っても思い出して爽やかに笑える笑宝(えほう)をいっぱい持っている人。
人を笑わせるって簡単に言いますがやってみて下さい。簡単ではありません。豊かな才能と思いやりと聡明さがいるのです。
今の芸人さんを見ていると、「笑われている人」が増えたと残念ですが、
「笑わせる事」にたけている人は才能も豊かですが何より人間力がまた高いです。
「他人を楽しい世界に誘える人」が笑わせる事の出来る人です。
視点を「他人の心地よさ」に向ける事が出来る思いやりのある人。
 
 
「笑われる人」と言うのはその行いで著しく迷惑を被ったり、傷つく人が居る事を平気でする人の事を言います。両社は思想が根本的に違います。おでんつんつん男もそうですが「他人を心地よくする事」より「我、目立ちたい」「我、注目されたい」その為には方法を選ばないのです。こう言う人間はいじめも平気で行いますし、自己顕示欲が歪んでいる為、犯罪行為も平気です。
ただどんな形でも良いから、自分が注目を浴びる・・または中心になりたい人です。
人間力は全くないと言うか社会生活に支障をきたしてしまいます。
視点が「自分の快楽」にしか向ける事が出来ない人です。
 
おでんつんつん男は愚かな行為で母親、奥様、子供を社会的に物笑いの的にしてしまいました。ネットに流してしまったら・・・もう二度と消せない。
奥様は他人ですから離婚してしまえば無関係ですが親と子供は一生引きずる事になります。親は先に他界したとしても、子供は親より寿命が長いので就職・結婚と人生の節目に弊害が出ないとは限りません。なにかの拍子にスマホに父親の醜態が出て来た・・・ご結婚相手の親がその画像を観たら・・・どうでしょう?本人が犯した罪では無いにも関わらず・・・理不尽が起こらないとも限りません。今回、逮捕されてしまったので・・・子供さんの就職にも大きな壁を親が立ててしまいました。それも・・・・おでんを生手でつっつくく、だらない行為、コンビニでおしりを出したわいせつ罪・・・子供までも世間の「笑いもの」にさせてしまうのです。人は自分が「家族を持つ事の責任」として少なくともこのような愚かな行為で家族が見ず知らずの人から「笑われない」ようにしなければなりません。
 
我が子を「笑われる人」にしない為には家庭環境が大いに影響するのではないでしょうか?
幼い時からやはり「けじめ」が私は必要ではないか?と思っています。
1、親が子供の「自由」を見誤まらない。
子供に「好き勝手をさせる」と子はやがて大人になり世間の人に笑われます。「自由」の裏打ちは「責任」ですから子供は自分が責任を取れませんので「親の監視の下」が必要なんです。大切に育てると言う事は「好き勝手」を許す事ではありません。我が子がやがて社会に出て親の眼が届かなくなった時に多くの人間の面前で「恥ずかしい真似」をしない「恥をかかない」行動が自然にできて初めて「大切に育てた子」となります。人間の形をした野猿では・・・笑われます。いいえ野猿の方が親の躾をしっかり受けて猿の群れのルールを守れますね。
その行いは「やってはいけない事なのか?」「やっても良い事なのか?」を教えてやるだけの事で何も難しい事ではありません。
 
2、質の悪い笑いの影響に注意をはらう。
今はテレビなどで質の悪い笑いが、いくらでも垂れ流されています。
それを見るなと言うのは無理なんで親が警告をしなければなりません。
例えば一人の芸人さんを集団で物笑いにしているような場面です。
私は見てはいけないとは言いませんが「愚かなことや。なにが面白いのかな?最低な奴らや。よう見てみいや・・・人を笑わせたいなら芸を磨け。他人が嫌がってる姿見て笑える人間は最低やで。こんな奴らはいつか自分が笑いものになるだけや」これだけです。
 
3、子供が心から笑顔でいられる環境を整える。
親が子供を躾の名目でいじめたり、夫婦の諍いを見せたり、質の悪いテレビのお笑い番組(上記のようないじめを連想させる番組)を見て親が大笑いしたりしていては子供は「そのような人間」になります。
家庭は小さなん社会で・・これから生き抜く大きな社会への準備期間ですから、子供の情緒を豊かにし、平穏で居られる環境を整える事が親のお役目なんです。それがブランド物の服を着させることよりもはるかに大切なんです。
お金持ちの家で育っても貧相な思想しかない子もわんさといます。
親にお金が有り、何不自由なく育つ事が情緒を育てる訳ではありません。お金ばかり与えても環境が貧相なら子は心が貧しくなります。
親が共働きでも子供から豊かな笑顔を引き出せる環境を重視している親の子は将来間違っても「笑われる人」にはなりません。
 
子供を明石家さんまさんのように常に「笑わせる人」に育てる必要は全くありません。普通で良いと思います。
でも・・・子供は幼い時から「心から良い笑顔で笑える子」に育てる事が一番大切だと私は思います。本当に楽しそうな笑顔の持ち主には良き人脈が広がるのです。良き人脈=幸運です。
「笑わせる人」も「笑われる人」もその何気なく暮らしている家庭が作るのです。私が長くいろんな方のお話を聞く中で、また人生に起きた経験、
気学から学んだ事をから言うと陰陽のバランスなのか・・・
父親の素質は「娘」に・・・
母親の素質は「息子」に・・・陰陽どちらかで影響を及ぼすものではないか?と考えています。
家族を持つ責任・・・・なんて大きく重いんだろうと思います。